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戦力外→引退後は「1年くらい家に閉じこもって…」元近鉄ドラ1が語る“接骨院の経営者”の今「引きこもることも人生には必要です」 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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photograph byMakoto Okano

posted2022/12/27 11:03

戦力外→引退後は「1年くらい家に閉じこもって…」元近鉄ドラ1が語る“接骨院の経営者”の今「引きこもることも人生には必要です」<Number Web> photograph by Makoto Okano

元近鉄の高柳出己さん。戦力外通告を受けた元プロ野球選手が第二の人生に向かう時、最も大切なことは何か?

「川崎球場での試合後、仰木さんに『知り合いがスナックを開くから』と誘われて、阿波野(秀幸)とマネージャーと4人で行ったこともありました。僕は次の日先発だったんですけど、『前半戦最後やからええやろ』と監督に飲まされて、店を出ると『銀座行こう』って(笑)。阿波野が『高柳は帰しましょう』と焦ってるのに、監督は『ついてこーい!』と元気に先頭を歩いてましたね。結局、お店が開いてなかったので無事帰れました」

 野武士軍団と呼ばれた西鉄ライオンズの黄金時代に名セカンドとして活躍した仰木は、豪放磊落な選手の集まった近鉄バファローズの操縦術を熟知していた。

「仰木さんは結果さえ残せばいいという考え方なので、やりやすかった。遊ばないでストレスを溜めるほうが良くないと思っていたのかもしれない。僕らもダメなら二軍とわかっていますし。トレーニングコーチの立花龍司が『コーチ会議でみんなビール飲んでるんだよ』と言ってました。コーチが『門限どうしましょう』と聞くと、仰木さんは『いつもと一緒』と答えるらしい。ほぼないってことです(笑)。まあ、そのやり方で勝ってましたからね」

「一気飲みで勝ったら一軍に帯同だ」

 仰木監督が一気飲みの勝者を先発メンバーに起用した試合もあった。1992年9月、釧路での日本ハム戦である。

「その前に西武球場でボロ負けして、日本ハムとの初戦も負けて、珍しく外出禁止になったんですよ。ホテルでみんなで飲んでいたら、仰木さんが来て『自分が二軍に落ちると思うピッチャーは手を挙げろ。一気飲みで勝ったら一軍に帯同だ』といきなり言い始めた。次の日、藤井寺に帰ったらピッチャーが1人ファームに行く予定だったんです。吉井(理人)とか3人が『はい!』って挙手した(笑)。アイツは飲めないから、びしゃびしゃビールをこぼしてましたよ。そのノリで、キャッチャーとショートも3人ずつ一気して、勝った選手がスタメンになったんです」

 場の雰囲気も手伝い、高柳が「僕が監督と一気飲みをして、勝ったら外出させてください」と提案すると、仰木は「わかった」と笑顔でうなずいた。28歳の酒豪は57歳の酒仙を圧倒した。

「外出禁止が解けて、チームが最高に盛り上がりましたね。翌日の試合がどうだったかは覚えてないですけど(笑)」

【次ページ】 仰木監督は「人を動かすのが上手」

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