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絶望の戦力外通告から3年…元日本ハム・岸里亮佑が語る“プロ野球選手の肩書”を捨てるまで「切り替えようと思っても無理でした」 

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田中仰

田中仰Aogu Tanaka

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photograph byNumberWeb/ SANKEI SHIMBUN

posted2022/12/28 11:02

絶望の戦力外通告から3年…元日本ハム・岸里亮佑が語る“プロ野球選手の肩書”を捨てるまで「切り替えようと思っても無理でした」<Number Web> photograph by NumberWeb/ SANKEI SHIMBUN

現役時代の岸里(左)。現在は日本テレビが運営する「ドリームコーチング」の人気コーチとして活躍している

 シーズン限りで沖縄を去った岸里のもとに、日本テレビのプロ野球中継を担当していたアナウンサーで新規事業開発に携わる新谷保志氏から連絡があった。アスリートやトレーナーが小・中学生に直接指導を行うパーソナルトレーニングのコーチの打診だった。沖縄の経験から漠然と「教える」ことに興味が湧いていたこと、そしてレッスン予約が入った場合のみ稼働するという自由さに惹かれた。

 交渉の場で岸里は、ひとつだけ要望した。オンライン上で各コーチの名前とともに記載される肩書を「現役プロ野球選手」にしてほしい、というのものだった。

「まだ現役への未練を完全に捨てきれていなかったんだと思います。育成契約でどこかの球団が声をかけてくれるんじゃないかって」

「やっぱり野球から離れることはできなかった」

 首都圏を中心に連日飛び回り、昨年1年間に担当したレッスンは計307件。最も多い月は44件にものぼり、口コミには「丁寧な指導だった」との声が並んだ。気づけば屈指の“人気コーチ”になっていた。岸里自身、目を輝かせながら質問をしてくる子どもたちと接するうちに、指導に熱中していく。そして少しずつ、「プロ野球選手」以降の人生を考えられるようになった。

「セカンドキャリアといっても、すぐに切り替えるのは難しいと思います。本当に少しずつ、ですね。指導していく中で、こっち(指導する)側を突き詰めてみようかと思うようになりました。やっぱり野球から離れることはできなかったですね。僕から野球をとったら何もないんで」

 日々充実感を感じる中で、考えさせられることもある。小・中学生にしてケガに悩む子どもの多さだ。なかでも低年齢での肉体改造について、岸里は首をかしげる。

「僕の経験からすると、若いうちは適正な運動と、3食きっちり食事を摂ることだけで、十分体は作れるんじゃないかなと思うんです。トレーナーさんによっても意見は分かれますが、早いうちからウエイトトレーニングで筋肉をつけると体の成長を阻害するという方もいる。体の難しさを実感した僕は、どうしてもそっちの意見を信じてしまう。特に短期間で体を大きくしたい、という人には自分の経験を伝えるようにしています。やみくもに体を変えることの怖さを知っているので」

 レッスンの場で、受講者からリハビリの方法を聞かれることも少なくないと言う。こちらが返事に詰まると、「復活できなかったので説得力があるかは微妙ですが」と岸里はあっけらかんと笑い飛ばした。

 戦力外通告からの3年間は、岸里にとって「野球との関係」を再構築する時間だったのかもしれない。相次ぐケガに泣かされ、後輩が活躍する日本ハムの試合を見られなくなった日々も、今なら臆せず振り返ることができる。「そんなこともありましたね」と。

 岸里亮佑27歳。今春、パーソナルトレーニングコーチの肩書を「元プロ野球選手」に変えた。

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