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プロ野球PRESSBACK NUMBER
絶望の戦力外通告から3年…元日本ハム・岸里亮佑が語る“プロ野球選手の肩書”を捨てるまで「切り替えようと思っても無理でした」
posted2022/12/28 11:02
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph by
NumberWeb/ SANKEI SHIMBUN
花巻東高時代から大谷翔平投手の1学年後輩としてともにプレーした元日本ハム外野手の岸里亮佑さん。故障が続いた現役生活のなかで励みになった言葉とは。戦力外通告からトライアウト受験、セカンドキャリアへと至る道を聞いた。《全2回の2回目/前編へ》
プロ4年目を迎えた岸里亮佑は言いようもない焦りを覚えていた。
「プロとしてはそんなこと言っちゃいけないんですが、相当ハードルは高いな、と。一軍で試合に出るのは無理じゃないか、と思っていたのは事実です」
2016年、日本シリーズを制した日本ハムの外野陣は「鉄壁」だった。
西川遥輝、陽岱鋼、近藤健介。さらには岡大海、谷口雄也、淺間大基が控えるという選手層の厚さ。オフに陽が移籍したものの、巨人から大田泰示が加入し、翌年のレギュラー争いは熾烈を極めていた。岸里も本当ならば奮起しなければいけない状況にありながら、気持ちは切れる寸前だった。
かつての感覚が取り戻せない…焦る日々
1年目オフの無理な増量が影響し、かつての感覚が取り戻せない日々は続いていた。それでも、プレーできなかった2年目の“遅れ”を取り戻そうと、練習の強度を上げた。
「2年目にやろうとしていたことが3年目に持ち越しになった。だから飛び級というか一気にレベルをあげようとして……。すべてが空回りして負の連鎖が続きました」
西川や陽からは、「焦るのが一番ダメ」とアドバイスされた。「ケガして感覚を元に戻すのは時間がかかるもの」とも言われた。一軍で活躍する先輩も経験した道のり。そう考えると少し気が楽になり、ゆとりをもって練習ができるようになった。