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「親父に恥をかかせたくない」名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈が明かす“甲子園に届かなかった”明徳義塾の18年間「中学の時はよう泣いていました」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/12/23 11:00

「親父に恥をかかせたくない」名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈が明かす“甲子園に届かなかった”明徳義塾の18年間「中学の時はよう泣いていました」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

現在は拓殖大学の監督を務める馬淵烈さん。父が監督を務める名門・明徳義塾で主将にもなったが、甲子園には出場できず。現役時代について話を聞くと…

子供ながらに「親父に恥ずかしい思いをさせたくない」

 当時監督だった狭間善徳さん(58、現明石商業監督)の自宅で相談したこともあった。その中で出した結論は「圧倒的なレギュラーになること」。1週間で唯一、保護者との面会が許される土曜日の午後7時ごろから、父に素振りを見てもらうなど必死に努力を重ね、最上級生になった頃には「3番・投手」の座を勝ち取った。

「親父に子供ながらに恥ずかしい思いをさせたくないっていうのはあったと思うんですよ。高校で監督をしていて自分の息子が中学で控えでしたっていうと、なんかね。努力するしかなかったです」

 しかし、自分たちの代で全国大会に出場することは叶わなかった。

「1学年上と1学年下が全国制覇、そして僕らは高知県大会準決勝敗退です。全国大会には縁がなくて、ここで勝ったら行けるというところで全部負けているんですよ」

「父」と「息子」から「監督」と「選手」へと立場が変わった高校でも出鼻をくじかれた。1年夏、先輩たちは8年連続となる甲子園出場を決めたが、不祥事で大会直前に出場辞退。父は監督の職を辞し、低迷したチームは翌年も甲子園に出場することはできなかった。

父からの一喝「信念があるんか!」

 2年秋。父が再び監督に復帰。先輩たちからは新チームのキャプテンに指名された。

「親父から『(キャプテン)やれるか』って言われて『やります』って言ったのを覚えています。高校時代は親父に敬語ですよ。監督と一選手ですから。甘えられないですし、そこは一線引いていました」

 厳しいことを言われたこともある。練習試合の1試合目で大敗した後のミーティング。強い口調で、問いかけられた。

「信念があるんか!」

 悔しかった。明徳に進むと決めた時から信念を持ってやってきた。2試合目。試合途中で雨天中止になるまでの2打席とも、すべて初球を打ち返し、2安打を放った。反骨精神は、誰よりも強かった。

父からの指示でマウンドにもあがる

 高3の春からは中学以来となる投手も経験した。

「親父の指示でシート打撃に放ったら『まあまあいけるやん』って。MAXは134キロで大体130キロくらい。コントロールはよかったんですけど、たいしたピッチャーじゃなかったです。でも、あの経験がなかったら内野手の気持ちしか分からなかったと思うし、今に生きているんですよ」

【次ページ】 3年最後の夏、県大会決勝で敗れ、父からは…

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