- #1
- #2
大学野球PRESSBACK NUMBER
「親父に恥をかかせたくない」名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈が明かす“甲子園に届かなかった”明徳義塾の18年間「中学の時はよう泣いていました」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/12/23 11:00
現在は拓殖大学の監督を務める馬淵烈さん。父が監督を務める名門・明徳義塾で主将にもなったが、甲子園には出場できず。現役時代について話を聞くと…
「何で今日練習するんですか、みたいな日もあったんですけど、監督がやるということはどういうことか。油断するなよ、引き締めろよっていうのもありますし、そういう気持ちに持っていっていたんだと思います。勝負に対する徹底、執念じゃないですけど、それは感じました」
大学でも「この先あと一歩いけない」
内田監督の下で内野手に専念して野球に打ち込み、4年秋には24年ぶりとなる2部優勝。「4番・三塁」で臨んだ中央大学との入れ替え戦では1回戦で先勝したがそこから連敗し、後輩たちに「1部昇格」の置き土産を残すことはできなかった。
「大学でもやっぱり難しさというか壁というか、この先あと一歩いけないんだという感じで終わりました」
父を間近に見てきたこともあり、ゆくゆくは指導者になりたいという夢があったが、「まずは選手としてレベルアップしたい」と、社会人野球のシティライト岡山で野球を続けることを決断。ただ、やはり全国大会である都市対抗、日本選手権に出場することはできず、2015年、4年目のシーズンを終えた。
「まだ現役としてやれていましたけど、僕があと1年頑張ってもプロの世界は間違いなくないし、やってもしょうがないなっていうのはありました」
この時26歳。現役続行か、引退して違う道を進むか。悩んでいた時に、内田監督からの電話が鳴った。
<つづく>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。