オリンピックへの道BACK NUMBER
「取材してきたけどインタビューできない…」五輪3大会担当、大橋未歩(44歳)が感じていたジレンマ「局アナとしては限界を感じた部分だった」
posted2022/12/10 11:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Keiji Ishikawa
テレビ東京に在籍時はスポーツをはじめ幅広いジャンルの番組を受け持ち、局を代表するアナウンサーとして活躍。やがて傍目には安定した立場を離れる決断を下し、独立した後も多岐に渡り、大橋未歩は存在感を示している。
その存在感と率直な言葉ゆえに注目を集め、時に誹謗中傷と言ってさしつかえない言葉を浴びせられることもあった。それでも揺らぐことはない――。大橋未歩のキャリアを考えるとき、思い浮かべるのは今日のスポーツ界だ。アスリートにとって引退後の人生設計がますます大きなテーマとなり、誹謗中傷にどう向き合うかが課題となっている現在、大橋が重ねた経験は、それらにどう向き合うべきかの手がかりとなるのではないか。
アナウンサーになった経緯からスポーツへの取り組み、フリーランスになった決断や今後を尋ねた。
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「大橋未歩」の名前を聞いて連想するのは、人によってはバラエティ番組かもしれない。あるいは情報番組、報道番組なのかもしれない。それらに加え、あるいはそれ以上に、大橋未歩のキャリアに強く刻まれるのはスポーツである。
中でも核となるのはオリンピックだ。
2002年にテレビ東京に入社するとその2年後の2004年には現地キャスターとしてアテネ五輪に派遣され、2008年北京、2012年ロンドンと、女性アナウンサーでは異例の計3回、現地に赴いている。
原点はコンプレックス
オリンピックは、アナウンサーを目指した動機にも含まれていた。
「アナウンサーになりたいと考えたきっかけの1つは司会をしたいと思ったこと。中学3年生のときに学級会の司会をしました。クラスの意見が二分する状況の中で、1人の子が両方のいいところをとるような発言をしたら『そんなの無理に決まってるじゃん』とクラスの全員から非難ごうごうだったんですね。その子は泣いてしまって。
司会としてその場を収めなければと思って『その折衷案、優しさから出たんだと思う。優しさに拍手』と言ったんですよ。そうしたらみんなが拍手してくれて、その場が丸く収まったことがありました。私自身がグループの中でうまく輪の中に入っていけないような性質なのもあって、そういう子も輪に入れてあげられることができる、司会のひとことで場の空気を180度変えられるのだなと思いました。
そうなんです、私は元々とてもお喋りが苦手で輪に入れないことがコンプレックスで、どんどん萎縮してしまう自分を感じることが幼少期から多々あって。輪に入れない寂しさや疎外感を感じている子がいたら、気持ちが分かるだけにどうにか輪に入ってもらえないかな、と」