オリンピックへの道BACK NUMBER
「取材してきたけどインタビューできない…」五輪3大会担当、大橋未歩(44歳)が感じていたジレンマ「局アナとしては限界を感じた部分だった」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKeiji Ishikawa
posted2022/12/10 11:01
オリンピックは3度担当、スポーツとも縁の深いアナウンサーの大橋未歩
「同い歳の岩崎恭子選手を観て…」
「もう1つのきっかけがオリンピックです。たまたまバルセロナオリンピックで岩崎恭子選手を観て、同い歳だったので彼女の涙がものすごく印象に残りました。『今まで生きてきた中でいちばん幸せです』。その言葉を聞いて、私も同じだけ生きているけれども、そんな風に堂々と言える出来事ってあったかな、みたいに思って、オリンピックに興味を持ちました。とはいえスポーツでエリート教育を受けているわけではなかったし、選手としてではなく違う方法はないかと考えて」
その2つが合致したのがアナウンサーという職だった。
「オリンピック取材に携わりたい」
入社試験の面接で意思を伝えた大橋が入社して3年目に夢は実現する。
「2004年のアテネオリンピックに派遣されましたが紆余曲折があって。当時スポーツキャスターをやっていましたが、現地派遣メンバーには選ばれなくて。でも諦められなくて上司に『オリンピックは私の夢です』と気持ちだけ伝えたら、派遣されるはずだったメンバーがスケジュールの関係でNGになり私が派遣されるこ
とになったんです」
大橋にとって「悔しいオリンピック取材」
念願をかなえたものの、少しの悔いが残った。
「2002年入社なので、オリンピックまでの道のりは1年半くらいしか取材できなかった。だからアテネオリンピックから帰国した翌日にまた上司のところに行って、『4年間がむしゃらに取材をするので、次の北京も行かせてください』と言って。4年後派遣された北京五輪中継では取材してきたことをしっかり伝えられたという手応えがありました」
アテネを終えてすぐに誓った2度目の北京を経て、3度目のロンドンでも現地に大橋はいた。だが――。
「ロンドン大会は、自分にとってはけっこう悔しいオリンピックでした」
その理由を語る。
「局のアナウンサーのジレンマだったりすると思うんですけれども、やっぱりメインキャスターをアシストするのが役割なんですね」