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「偏差値67の進学校→国立大在学」の俊才が“まさかの競技”で世界大会「銅メダル獲得」…令和を生きる“ニンジャ”のウラ話「海外に出ていく必要が…」

posted2025/12/25 11:05

 
「偏差値67の進学校→国立大在学」の俊才が“まさかの競技”で世界大会「銅メダル獲得」…令和を生きる“ニンジャ”のウラ話「海外に出ていく必要が…」<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

日本のオブスタクルスポーツの第一人者である千葉大1年の山本遼平。世界の大会を舞台に活躍するため、国際系の学部で学んでいる

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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Tadashi Hosoda

 ロス五輪では近代五種の一種目にも選出された「オブスタクルスポーツ」。アメリカのテレビ番組『ニンジャ・ウォリアー』から始まったスポーツだが、日本の第一人者は千葉にいた。果たして「現代日本最強のニンジャ」はいかにそこに辿り着いたのか。ナゾに包まれた新競技の話を聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》

 日本のオブスタクルスポーツの第一人者である千葉大学1年生の山本遼平。その競技との出会いは、決して珍しい話ではなかった。

 幼いころの休日に父親にアスレチック施設に連れて行ってもらい、「それがすごく楽しかったんです」。それぐらいならば結構普通というか、ありそうな話ではある。

 ただ、山本は行くばかりではなく、インターネットでも海外のアスレチックの動画をたくさん見るようになった。そして小学4年生のある日、ポッと出てきたのがアメリカ版の『SASUKE』である『Ninja Warrior』の動画だった。

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 アスレチック好きの少年にとって、その映像は衝撃だったらしい。自分が普段遊んでいるものとは比較にならない規模のアイテムを、大の大人が真剣になってやっている。その様子に強いあこがれを抱いたのだ。

 当時は一般の人が参加できるニンジャの大会もオブスタクルスポーツも影も形もない時代。自分もやりたい、でもどこにもやる場所がない。ということで、5年生の時に父親が自宅の庭にお手製の障害物を作ってくれた。

空いていた土地に作り始めた「練習施設」

 小さな庭ではあったが、鉄パイプにぶら下がって飛び移るフライングバーのようなもの、指でぶら下がるアイテムも備わってニンジャの真似事ができるようになった。その甲斐あってか、 「競技で何か成績を残したいな」と思っていた6年生の時、長野にある長さ100mの巨大うんていを使った大会で小学生部門のうんてい王に輝いた。

 中学に入ると山本はどんどん忍びの道に入り込んでいく。

 まずは父親が持っていた土地に本格的な練習施設を作り始めた。

【次ページ】 練習施設は父子で自作…所要時間は丸1年!

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