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「小学生の頃の憧れはヒデトシ・ナカタだよ!」W杯出場は逃したが…元インテル主将ラノッキアが語る“濃すぎなイタリア猛将+名DF伝説”
posted2022/11/23 11:02
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Takashi Yuge/Takuya Sugiyama
9月に引退を発表したばかりの元イタリア代表DFラノッキア。キャリアを振り返る独占インタビューの第2回は、セリエA時代の中田英寿との意外な縁から――(全3回/#1、#3も)。
ユニフォームをせがんだらプレゼントしてくれた
――本格的なサッカー人生の出発点はペルージャでしたね。
「そうそう。近所のクラブで12歳までやって、2000年に隣町ペルージャの育成部門に入った。小学生の頃の憧れは何といっても中田英寿だよ! ボールボーイをしていた時にユニフォームをせがんだらプレゼントしてくれた。まだ実家に大切にとってあるよ」
――元々、FWだったというのは本当ですか?
「本当だよ。U-15世代チームで州リーグに挑んでた頃だ。シーズンが始まる前にチームにセンターバックが足りないことがわかって、当時から背は高かったから(現在195cm)、監督が『きちんとしたDFが見つかるまででいいから、試しでやってみないか』と勧めてきた。急場しのぎだったんだろうけど、やってみたら案外悪くなくて(笑)。監督が気を良くして、僕はそのまま最終ラインに残ったというわけさ。あのコンバートのおかげで代表までやれたんだから、英断にとても感謝してる」
――FWだったことはDF転向後に役に立ちましたか?
「それはもちろん役に立った。攻め手の気持ちを読むヒントになったよ。実を言えば、10代の頃には攻撃的MFも、何ならGKも経験したよ。小さな地方クラブで、何でも経験できたことがのちのちのキャリアでも活きた」
幸運だったのはコンテという指導者に巡り合えたこと
――18歳のときに、セリエBのアレッツォでプロデビュー。“大人のサッカー”の世界に飛び込んだ。
「育成年代まではサッカーは、楽しくて無邪気なものだし、それでいい。でも、一旦プロの世界に足を踏み入れたら、サッカーは“勝ち点3イコール給料”になる。だから、30歳過ぎのベテランたちの前では18歳の新人なんて子供同然だよ」
「僕が幸運だったのは、アレッツォでアントニオ・コンテ(現トッテナム)という指導者に巡り会えたことだ。抜擢してチャンスを与えてくれただけでなく、プロとしてのメンタルや心構えを教えてくれた。彼は練習や試合へ取り組み方に態度……選手のメンタルそのものを変えてしまうんだ。当時の彼は(37歳と)若かったから、より現役の立場に近い心情で指導してくれた」