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なぜレアルは英雄を“追放”したか。
ペレスとカシージャスの「十年戦争」。
posted2015/07/23 11:00
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
Getty Images
シャビに続いて、カシージャスもリーガを去った。
それぞれバルサとマドリーで頂点を極め、代表でも欧州と世界を制した2人は、スペインサッカー史上最も重要なフィールドプレイヤーとゴールキーパー。両クラブにとっては在籍していたという事実が誉れとなる特別な存在である。
よってバルサは最大の敬意をもってシャビを送り出し、シャビも「いつか(監督として)戻ってくる」と明言した。
ところが、マドリーとカシージャスは違った。
退団記者会見の席にカシージャスはクラブ関係者を伴うことなく独りで現れ、翌日急きょ開かれた「役員会によるお別れセレモニー」では冷たい笑顔で挨拶した。送り出す側のフロレンティーノ・ペレス会長はというと、移籍はあくまでカシージャス自身の意思であることを強調した。
9歳でカンテラ入りし、18歳でトップチームデビューを果たしたイケル・カシージャスの夢は、キャリアの全てを愛するマドリーに捧げることだった。
そして、その夢はカルデロン会長時代の'08年にサインした“終身契約”('17年6月末までだが「公式戦30試合出場で自動延長」という条項が付いている)のおかげで現実になるはずだった。
カシージャスの両親が語った、ペレスの策略。
なのに、この夏なぜ彼は移籍を選んだのか。
カシージャスの両親は、ペレス会長がそう仕向けたからだとエル・ムンド紙で語っている。
「ペレスの態度に気付いたのは'05年。普通、契約延長は満期の2、3年前にオファーされるものだけれど、息子はぎりぎりまで待たされた。つまり好かれていなかったってこと」
そもそも、背の高いGKを好むペレスは2000年から'06年の辞任まで続いた会長第1期の時点で身長185cmのカシージャスを嫌っていた。当時、銀河系選抜作りに執心し、イタリア代表ブッフォン(191cm)の獲得を目論んでいたとされている。