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じつは“G大阪志望”だった? 流経大・守田英正の才能に惚れた川崎F敏腕スカウトのホンネ「(獲得競争は)かなり分が悪いな、と」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byGetty Images
posted2022/11/19 11:27
流通経済大学時代、向島建スカウトに能力の高さを見出された守田英正。日本代表の中盤の核となる選手だけに、左ふくらはぎの状態が心配される
守田にオファーを出した2017年は、最終的に川崎がJリーグ初優勝を成し遂げたシーズンだった。当時、ボランチには大島僚太とエドゥアルド・ネットのコンビが君臨。バンディエラの中村憲剛も健在で、中盤は若手が割って入ることが極めて難しい激戦区だった。なお当時ユース上がりのルーキーだったのが現・日本代表の田中碧だが、この年は1試合も出場機会を得られていない。
こうした現実的な説明や言葉に対して、守田の反応は謙虚だったという。
「サッカーキャリア的にエリートではないこともあってか、いい意味で腰が低かったですね。プライドの高い『俺が、俺が』というタイプではなく、その点も好印象でした」
向島は「彼ら(大島、ネット、中村)のプレーを見ながら、いずれボランチでポジションをとってくれ」と伝えていた。
目覚ましい成長ぶりに「もうあまり活躍しないで…」
ただボランチのレギュラーではなくとも、「早くから活躍できるだろうな」という予感も向島にはあった。大学生の時点で守田にはプロで通用する強靭なフィジカルがあり、さらに複数のポジションに高いレベルで順応できる能力があったからだ。特に後者は、獲得に至る決定的な理由になったという。
「守田のすごいところは、そのユーティリティ性です。どこのポジションでもできてしまう。彼は大学3年の全日本選抜に、ある選手の怪我を受けて追加招集で呼ばれたんです。そこで初めてじっくり見たのですが、そのときはセンターバックでプレーしていました。本来、サイドバックかボランチの選手と聞いていたんですけど、練習試合で大宮アルディージャ相手にセンターバックとして普通に通用していたんです。明らかに能力が高く、『こんな選手がいるのか』と驚いて、そこから追いかけるようになりました」
その後、4年生になる直前のデンソーチャレンジカップでは本職であるボランチでプレー。守田の堂々としたパフォーマンスに向島は惚れ込んだ。
「流通経済大学の中野(雄二)監督に『守田は、どこかのクラブから話は来ていますか?』と聞いたら、『具体的にはない』とのことだったので、『興味があるので追いかけさせてもらいます』と伝えました。さらにそこからも見るたびによくなっていき、なんなら『もうあまり活躍しないでくれ……』と思ったぐらいでしたが、そのデンソーチャレンジカップでMVPを獲得、さらに大学選抜にも選出され、正直『うわあ、これは面倒なことになるな』と思いましたね(笑)。守田は4年最後の大会、インカレでも優勝してMVPになったんです」