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野ボール横丁BACK NUMBER
金足農キャプテンが明かす、カナノウ旋風から“現実に戻った日”「世の中はそんなに甘くないんだな」…吉田輝星も「打ちのめされてました」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2022/11/04 11:02
2018年夏の甲子園で準優勝した金足農。当時キャプテンを務めた佐々木大夢(日体大4年)
佐々木 進路は大きく変わりましたね。僕は卒業後、就職するつもりでいました。もし、あの夏がなかったら、土木系のクラスにいたので、地元の、そういう関係の会社に入っていたと思います。金農自体、ほとんどの卒業生が地元で就職するんです。地元の活性化のためにつくられた学校でもあるので。でも、長い人生、まだまだ挑戦したかったので、大学進学に進路を変更しました。
――第一志望は、筑波大学だったんですよね。まずは、11月に行われた筑波大学の推薦入試にチャレンジして。
佐々木 どんなに難しいかもわからないまま、受けちゃいましたね。10月の頭に国体が終わって、そこから1カ月半くらい、死ぬほど勉強しました。間違いなく僕の人生の中で、いちばん勉強をした時期だったと思います。毎朝、7時に学校に来て、夜は9時とか10時ぐらいまで学校に残っていました。甲子園から、いろんなことが信じられないくらいうまくいっていたので、その時は、何とかなるんじゃないかと思ったんです。
今考えると、ほんと、身の程知らずでしたね……。試験は小論文と面接でした。小論文は英語で出題されたものに英語で書かなきゃいけないという課題もあって、後から聞いた話ですけど、ほぼ0点だったみたいです。面接はそれなりに手応えもあったのですが、当然ですけど、落ちました。あれで、やっぱり世の中はそんなに甘くないんだなと思い知らされましたね。準優勝してから、どこかフワフワしていたんですけど、現実に引き戻された感じがありました。
――そこから進路の再考を迫られて、最後の最後、高校の卒業式が終わってから、日体大の合格通知を手にしました。あの時は、スポーツ紙等でも、あの準優勝チームのキャプテンの進路がようやく決まったと、あちらこちらで報道されていました。
佐々木 いろいろ考えて、日体大に決めました。合格したときは僕もホッとしましたけど、それ以上に校長先生や周りの先生方が喜んでくれまして。よかったなとしみじみ思いました。
同期にドラ1・矢澤も…選手→学生コーチへ
――最初は選手として入部し、現在はグラウンドマネージャーという、学生コーチを束ねる立場にいるんですよね。
佐々木 いずれ野球の指導者になりたいと考えていたので、最初から学生コーチでもいいかなと思ったのですが、金農で、当時コーチだった(伊藤)誠さんに「できるところまで選手としてやってみろ。その方がコーチになったときにも説得力が出る」と言われて。日体大は今だと、部員が300名弱ぐらいいます。一軍から三軍まであって、大所帯なので、常にカットラインというのがあるんです。2年生の春のシーズンが終わった時点で二軍以上、3年生の同じく春のリーグ戦終了時に一軍にいない者は、選手の道をあきらめなければならない。僕はずっと二軍で、3年生に上がる前に、もう一軍に上がれそうな気配がなかったので、2年生の終わりに自ら申し出て、学生コーチにしてもらいました。
――大学野球のレベルの想像と実際は、かなりギャップがありましたか。