Jをめぐる冒険BACK NUMBER
週刊誌を騒がせた「釜本邦茂との確執」の真相…永島昭浩が明かす、愛するガンバとの離別と大震災に見舞われた故郷・神戸への電撃加入
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byEstuo Hara/Getty Images
posted2022/10/31 11:03
ガンバ大阪、清水エスパルス、ヴィッセル神戸とクラブを渡り歩いた永島昭浩。2000年に現役引退、セレモニーではかつて日本代表でもプレーした三浦知良から花束が贈られた
「釜本さんとは家族ぐるみの付き合いをさせてもらっていました。ただ、監督としては、チームの成績が振るわないなかで、もっと点の取れるストライカーを求めるのは当たり前のことやと思うし、僕は僕で、他のチームなら自分はもっとやれると思っていた。それでガンバから出るしかないなと。お互いに私情を挟まず、プロとしての決断だったと思います」
高卒で松下電器に加入した生え抜き中の生え抜きで、チーム1の人気を誇る選手の移籍報道は、大騒動となった。
「監督によって戦術やシステムも変われば、起用する選手も変わることは、今のサッカーファンなら分かってますよね。逆に、そのチームで出番がなくても、環境を変えたら活躍できる選手がいることも。でも、当時はJリーグができたばかりで、ファンもそうした考えを持ち合わせていなかった。だから、『なんでガンバから出て行くんだ』という批判はたくさんいただきました。手紙も山のように届きましたから。
僕は18歳で入社するとき、面接で『松下電器を世界一のサッカーチームにしたい』と宣言していたし、松下幸之助さんの著書を愛読していたくらい、会社やチームに愛着があった。今振り返ると、ガンバに残っていたらどんな人生だったかな、と思うこともありますけどね。当時は若気の至りと言いますか、まだまだやれるという自信がありました」
出場機会の減少以外にも、永島には納得のいかないことがあった。選手の大量解雇が明らかになったのだ。ベテラン選手の多くが戦力外通告を受け、礒貝洋光や松波正信といった新しいスターを中心とするチームに生まれ変わろうとしていたのである。
エスパルス移籍へ気持ちが傾いた理由
一方で、移籍へと気持ちを傾かせる要因もあった。エスパルスのエメルソン・レオン監督が熱烈なラブコールを送ってきたのだ。エスパルスには加藤久や長谷川、三浦泰年といった旧知の選手が大勢いたのも大きかった。
「『試合に出られないなら出て行く』なんて生意気なことを言っても、受け入れ先がなかったらどうしようもない。自分を必要としてくれるクラブがあったのはありがたかったですね」
こうして永島は蒼黒のユニホームを脱ぎ、オレンジのユニホームを身に纏ってJリーグ2年目の94年シーズンを迎えるのだった。