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金農サヨナラスクイズから4年…元“近江の左エース”林優樹が「プロ野球選手になりたい」と誓った瞬間〈転機は朗希、奥川と出場したW杯〉 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2022/10/22 17:02

金農サヨナラスクイズから4年…元“近江の左エース”林優樹が「プロ野球選手になりたい」と誓った瞬間〈転機は朗希、奥川と出場したW杯〉<Number Web> photograph by Fumi Sawai

18年夏の甲子園でサヨナラスクイズに立ち尽くした姿が印象深い林優樹(近江→西濃運輸)。肉体も球速もパワーアップした今、同期たちが待つプロの舞台に進む

 すでに進路は社会人野球・西濃運輸に進むことが決まっていたが、帰国後に家族からプロへ挑戦して欲しいという思いを聞かされた。苦悩の末、志望届を提出したが、林はその時点から指名はないと確信していたという。

「指名されたとしても活躍できる自信がありませんでした。ドラフトを迎えたあの日は、自分に期待なんてなかったです。でも、日本代表に選ばれていなかったら、そういう現実には気づかなかったと思います。夏までの自信だけで突き進んでいたかもしれません。ドラフトの日は同世代の子らがどこに指名されるのかの方が楽しみでした。ただ、あの日ほどプロ野球選手になりたいと思ったことはないです」

 林の目の前には、日本代表で得た明確な課題があった。

「体作りとストレートの球速と質。その2つを向上させれば勝負できる」

 だから“指名漏れ”したという気持ちより、3年間、社会人で頑張るんだという強い覚悟がすでに宿っていた。

野球人生で初の大ケガ「体作りに専念しようか」

 そんな強い思いで西濃運輸に入社したが、5月に左ヒジの疲労骨折が発覚する。これまでの疲労が蓄積されていたことが原因と見られるが、野球人生で肩とヒジのケガをしたことがなかった林にとって、初めての試練だった。

「監督さんと話し合って、“じゃあこれからは体作りに専念しようか”と言われて。自分でも体作りはやらなければならないことだと思ったので、素直に受け入れられました。3年後、本気でプロに行きたいなら、ここで体作りをする必要はあると思ったので」

 林が入社した頃は新型コロナウイルス感染拡大の影響で対外試合がなく、体作りに時間を費やすにはある意味“良い機会”だったかもしれない。ヒジの治療と並行し、チューブを使ったトレーニング、体の瞬発性を鈍らせないようにジャンプのトレーニングなども取り入れた。その合間にプロテインや食事の勉強にも着手。食べ物の好き嫌いが多く、食に対する意識が薄かったが、どんなものを体に取り入れることがエネルギーになるのかを真剣に考えるようになった。

【次ページ】 社会人野球の初実戦は“打撃投手”

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