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「あまりに清原を意識し過ぎて」巨人・槙原寛己が振り返る痛恨の日本シリーズ初戦…西武時代の4番・清原とヤクルト村上の不思議な共通点
posted2022/10/22 11:25
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
SANKEI SHIMBUN
「あまりに清原を意識し過ぎてしまった……それが逆に自分の首を絞めた感じだった」
こう語っていたのは斎藤雅樹、桑田真澄両投手と共に、1980年代から90年代にかけて巨人投手陣の3本柱を担った槙原寛己さんだった。
振り返ったのは1990年の日本シリーズ。巨人が宿敵・西武に屈辱の4連敗を喫したあのシリーズで、槙原さんは第1戦の先発を任されたのである。
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この年の巨人は2位の広島に22ゲーム差をつける圧勝でセ・リーグを制覇。原動力となったのは2年連続20勝で投手3冠に輝いた斎藤中心にした投手力で、槙原さんもこの年9勝を挙げてその強力投手陣の一角を担う存在だった。
シリーズ初戦先発・槙原という”奇襲”
一方、この巨人を迎えうった西武は、まさに黄金期のど真ん中。投手陣はエースの渡辺久信投手が18勝をマークし、渡辺智男、石井丈裕、郭泰源にベテランの工藤公康の各投手で先発陣を構成。さらに鹿取義隆と潮崎哲也のダブルストッパーも擁した強力布陣だった。そしてその投手陣をバックアップしてチームを牽引したのが、清原和博内野手を4番に据えた破壊力満点の打線だったのである。
プロ5年目を迎えた清原はこの年、打率3割7厘でOPS1.068をマーク。まさにキャリアハイを迎えようとしており、当然、巨人の投手陣はシリーズに備えた合宿でも、この清原封じに多くの時間を割いて分析を行なっていた。
そしてシリーズ開幕を迎えた巨人・藤田元司監督が仕掛けたもう1つの秘策があった。それがエース斎藤ではなく、槙原を初戦先発に立てるという“奇襲”だった。
実は槙原を先発起用した背景には3年前の“実績”があった。同じく西武と激突した87年のシリーズで、槙原は第4戦に先発すると西武打線を3安打、11奪三振で完封。対西武に苦手意識のある巨人投手陣の中にあって、いいイメージを抱いて戦える数少ない投手、それが槙原だったのである。