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箱根駅伝予選会“史上最大の事件”…6年前、どん底の日から名門・中央大はいかに復活したか? 当時の証言「だって高校生に負けたんですよ」
posted2022/10/14 17:19
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
箱根駅伝予選会史上、最大の衝撃は2016年に名門中の名門、中央大学が落選してしまった瞬間だった。
いまだにあの時のことは忘れられない。
中大の選手たちを取り巻く輪は、この世が終わったかのような雰囲気で、あれだけ重たい雰囲気を予選会で感じたことはいまだかつてない。
中大が2013年に途中棄権でシード権を逃してしまった時も事件だったが、それからシード権にはなかなか手が届かなくなり、名門は喘いでいた。ちょうど、他の学校が強化を本格化していた時期と重なったことも一因だった(これは青山学院大が成長していた時期と重なる。リクルーティングで両校がバッティングしていた例を何度も聞いた)。
低迷を受け、2016年に世界選手権で3度の代表経験を持つ卒業生の藤原正和監督が就任し、再建に向けてのテコ入れが始まった。藤原監督が当時のことをこう振り返る。
「あのチーム状況で、よくぞ自分はこの仕事を引き受けたと思います。いまだったら……引き受けなかったかもしれません。正直言って、それほどチーム力は弱体化していました。でも、若さというか、怖いもの知らずというか、『自分が中大を復活させないと』という気概があったんです。でも、冷静に考えると、7年前の自分は無茶だったなとも思います」
当時のチーム状況を証言してくれた選手がいた。高校3年の夏、中大の練習に参加させてもらったところ、ポイント練習で4年生に次いで、2番に入ってしまった。
「だって、高校生の自分が上位だったんですよ。こんなチームに入学して、大丈夫なんだろうか?」
と不安に思ったという。
それほど、名門・中大は弱体化していた。
吉居大和に聞いた「どうして中大に決めたんですか?」
あれから6年が経ち、2022年は藤原体制になって7年目を迎えた。
中大は三大駅伝初戦の出雲で3位に入り(藤原監督になって、三大駅伝での「表彰台」は初めてのこと)、全日本大学駅伝では「優勝を狙っていきます」と監督が話すまでになった。
丸6年という年月は、長いのか、短いのか。
現代の駅伝界の状況を見渡すと、中大の復活は奇跡に近いストーリーだと思う。