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大腿骨骨折しながら区間新も「最低限です」…最後の箱根駅伝を駆け抜けた駒澤大・佐藤圭汰と同期たち「なんとしてもチームに貢献したかった」
posted2026/01/09 11:02
駒澤大学の4年生4人衆。左から箱根3区の帰山侑大、6区の伊藤蒼唯、8区の山川拓馬、10区の佐藤圭汰
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph by
Yuki Suenaga(3)/Nanae Suzuki(1)
1月2日、駒澤大の4年生たちは、最後の箱根駅伝に臨んだ。
負傷を抱えていた山川と佐藤
だが、万全の状態で本番を迎えられたのは、3区の帰山侑大と6区の伊藤蒼唯だけだった。山川拓馬は12月上旬にぎっくり腰になり、起き上がることもままならなかった。そのまま2週間ほど練習を休んだ。
「箱根に向けて最後の練習を積むところで何もできなかった。その不安は大きかったですね。結果、予定していた5区の出走ができなくなり、8区に入ることになりました。安原(海晴・3年)は突然5区になって、不安も大きかったと思います。迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なかったですね」
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山川以上に不安を抱えていたのが佐藤圭汰だった。
恥骨の疲労骨折が完治しておらず、加えて左大腿骨疲労骨折を受傷していた。
「箱根に出るのは、賭けでした」と佐藤は言ったが、それは11月の全日本大学駅伝の際にも聞いた言葉だった。その時も恥骨疲労骨折の後、回復に努め、ぶっつけ本番で7区を走った。区間3位の走りで優勝に貢献したが、走りながらも、いつまた痛くなるのかという不安が消えることはなかった。
箱根前は、その時以上に状態が悪かった。
「左大腿骨の疲労骨折で、しばらく休んで。12月22日かな、これができればいけるだろうっていうポイント練習があったんです。12kmのペース走で、最初の10kmは(1km)3分15秒、残りの2kmを3分切るぐらいで、普通よりも遅いんですけど、なんとかレースペースまで上げることができたんです。よく走れたなっていう感じでしたね。それもあって最終的に出る決断をしました」
なぜそれでも出場したのか?
そんなギリギリの状態でも走る、と決めたのには明確な理由があった。

