それでもまだ、スピードを上げるのか

　オレは速い。もっと速く走れる。見てくれと言わんばかりにアクセルを開ける。

　前年度王者のドゥーハンを8周目のS字コーナーで鮮やかにパスすると、ポイントリーダーのA・バロスは転倒で姿を消した。

　予選のタイムより1秒も速くラップを刻んでいくヤマハYZR500に、もはや追いつけるライバルはいなかった。

©Getty Images

　18周を走り終え、残りは3周。後続との差は5秒以上にまで広がっていたが、ノリックは決してアクセルをゆるめない。アスファルトにブラックマークを残しながら、次々にコーナーを立ち上がっていった。

　リアタイヤが、悲鳴を上げる。それでもまだ、スピードを上げるのか――。マシンが不穏な挙動を示すたび、観客の誰もが祈らざるを得なかった。

　――ノリック、転ぶな！

　日本人ライダーとして、史上初めて母国で500ccクラス制覇へ。大歓声が後押しするなか、ヘルメットから長髪をなびかせたライダーがメインストレートを駆け抜けていった。

最高峰クラスの日本人ウィナーを讃える「君が代」

　歓喜の、そして感動のウィニングラン。総立ちのスタンドを見て、ノリックはヘルメットの内側でどんな表情をしていたのだろう。

ウイニングランのノリック　©Masato Daito

　鈴鹿に初めて流れた、最高峰クラスの日本人ウィナーを讃える「君が代」。表彰台に立ち、泣きじゃくるノリックを見て、思わずもらい泣きするファンも多かった。

　'94年の転倒でノリックはファンの心を掴んだが、'96年の勝利はそれを掴んで離せないものにした。戦績だけならノリック以上の結果を残した日本人ライダーもいるが、存在感で及ばないのはこの2戦のインパクトがあまりにも大きいからだ。

　あのバレンティーノ・ロッシは'94年のレースを見てノリックに憧れ、自らを「ろっしふみ」と名乗った。'96年のレースもまた、気鋭のライダーに深い印象を刻みつけている。

バレンティーノ・ロッシ　©Atsushi Hashimoto

亡くなって初めて、その存在の大きさに気づく

　今や数少なくなったGPの日本勢で、モト2クラス参戦2年目の中上貴晶はこう話す。

「映像を見ても、テレビ越しに歓声が聞こえてくる。ファンが必死でノリック選手の背中を後押ししていて、ライダー冥利に尽きますよね。最高峰クラスで母国開催のグランプリを勝つと、どんな気持ちがするのか。それを日本人で最初に成し遂げたノリックさんは、たぶん一生超えられないひとです」

　ノリックはその後も最高峰クラスを走り続け、'99年リオデジャネイロGPと、'00年の日本GPでも優勝を果たした。しかし、チャンピオンの座にはほど遠く、'04年シーズンを最後にグランプリから退いている。​

　そして全日本に戻ってきた'07年の10月7日、不慮の交通事故で急逝。亡くなって初めて、その存在の大きさに気づく。国内のサーキットから、あの熱狂が失われて久しい。

Norifumi Abe
1975年9月7日、東京都生まれ。'95年からWGPにフル参戦し、'04年まで10シーズンを戦い、優勝3回で年間最高ランクは'96年の5位（'03年はスポット参戦）。'05～'06年はスーパーバイク世界選手権に戦いの場を移すも、2年ともランク13位。'07年から全日本に復帰し、レース人気復活のため活動していた矢先、交通事故で急逝した。享年32。 ©Masato Daito

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。