大相撲PRESSBACK NUMBER
朝青龍が貴乃花にいきなり「おい、俺に胸出せ!」曙がビックリして「俺が出す」…“モンゴルマン”と馬鹿にされた悪童のありえない話
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/09/27 17:16
2010年1月場所で25度目の優勝を果たし、翌月に不祥事で現役引退。横綱・朝青龍とは何者だったのか?
「この間も電話がかかってきて『いま一番いい親方は誰なんだよ。俺みたいに熱い男はいないだろ!』と言うので、一応そうですねと答えておきました(笑)。実際に横綱が残っていたら、相撲界もまた違っていたんでしょうね」
不本意な形で土俵を去った朝青龍のやりきれなさも豊昇龍には伝えているという。
「一族の思いとして、親方株をちゃんと取れるように頑張れよと言っています」
引退会見で「一番の思い出は?」
現在は実業家としてさまざまな事業を展開している朝青龍だが、相撲への情熱もまだまだ尽きない様子で、場所中は相撲への熱いコメントをツイッターに投稿している。中でも、今年の夏場所で豊昇龍が横綱・照ノ富士に敗れた時の投稿には、その哲学が端的に示されていた。
“横綱に勝つ為に稽古するんだ!“
一般人への暴行事件を起こして角界を去ることになったとき、引退会見で一番の思い出は? と問われた朝青龍は涙ながらに答えた。それは少し意外な答えだった。
「やはり、両親の前で横綱・武蔵丸関を倒したことを誇りに思う。初めて両親を招待して、横綱というすごいものを倒した。今までで一番、というよりそれしかない」
01年夏場所初日、武蔵丸戦での横綱戦初勝利。史上初の7場所連続優勝や年6場所完全制覇、35連勝なども成し遂げたのに、横綱として過ごした7年間よりも、「横綱というすごいものを倒した」一番こそが、朝青龍にとっては土俵人生のハイライトだった。
「メシもうまくない…すぐモンゴルに帰りたいと思った」
究極の負けず嫌いは、自分を負かす存在がいてこそ闘志を燃やすことができる。
貴乃花とは2度しか対戦する機会がなく、武蔵丸には4勝5敗だったが横綱同士での対戦は叶わなかった。昇進してすぐに突入した長い、長い一人横綱時代。白鵬が追いついてくるまでの4年以上の時間は我が世の春を謳歌していたように思えて、むしろ孤独で退屈な時間だったのかもしれない。
付け人だった岡田泰之(元三段目・男女ノ里)は、その性分は生い立ちにも根ざしていると感じていた。