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朝青龍が貴乃花にいきなり「おい、俺に胸出せ!」曙がビックリして「俺が出す」…“モンゴルマン”と馬鹿にされた悪童のありえない話
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/09/27 17:16
2010年1月場所で25度目の優勝を果たし、翌月に不祥事で現役引退。横綱・朝青龍とは何者だったのか?
「5人兄弟の4番目で、一番上の兄貴は警察官。二番目はお父さんと同じモンゴル相撲の関脇(のちに横綱に)で、レスリングではオリンピックの代表にもなった。三番目もレスリングが強くて、新日本プロレスにも入った。なんせお兄ちゃんたちに勝てる競技がない。何ができるんだ、俺には? というところに大相撲があった。兄貴たちに敵うもの、違うもので勝負しないとモンゴルで生き残れないという4番目ならではの考えだったんでしょうね」
200人が集まったというモンゴルでの選考試合を勝ち抜いて掴み取った明徳義塾入り。当時、高校に留学してからの角界入りは前例のない挑戦だった。頭からぶつかる立ち合いに慣れず、最初の稽古では中学1年生にも勝てなかったという。言語の壁、食事の違い、人間関係、すべてが負けられない相手だった。
《乗ってきた飛行機が帰ってしまったとき、(目の前が)まっくらになりましたね(笑い)。きつい練習が始まって、言葉もわからない、メシもうまくない、すぐ帰りたいと思いました(笑い)》
《千代の富士関も飛行機に乗りたくて来たんですよね。自分もそれと同じ思いだった。でも、人間関係でもめたり、できないことは涙がでるぐらい悔しくて、そういうときに寂しくなって、両親のことを思い出しました》(『大相撲』2003年1月号)
《日本語覚える外国人は最初に悪口を覚えるんだよね。言葉がわからなくても、何か悪いことを言ってるなというのは、分かるんだよね。日本語は分からないだろうからって、外国人の前で悪口言っちゃ、ダメだよ(笑)》(同2002年7月号)
“おい、モンゴルマン“って馬鹿にしてたのに…
岡田も胸の内にくすぶり、こじらせた思いを聞いたことがあるという。
「アマチュアで一緒にやっていた力士がプロに入ってきたんです。よく話をしていたけど、『あいつら、俺のことを“おい、モンゴルマン”って馬鹿にしてたのに』とも言ってましたね。そういうのを忘れない人だし、そこからもハングリー精神が生まれていた」
一方で、高砂部屋でアマチュア時代に実績を残した力士がなかなか関取になれずにいた頃、朝青龍は業を煮やしてこう言ったという。
「1場所か2場所で関取に上がれなきゃおかしいだろう。俺は雑草から(這い上がって)来たんだぞ!」
はたからみれば十分にエリート街道を歩んできたと思えなくもないが、本人の意識はまったく違っていた。生まれながらに角界の伝統と宿命を背負い、気高く強くなったのが貴乃花なら、人生を勝ち抜くために異文化の中で戦い続けたのが朝青龍だった。いくら荒っぽいと言われようが、命を守ることに必死な狼が体面を気にするわけがない。
貴乃花にいきなり「おい、俺に胸出せ」
岡田が聞いたという幕下時代の逸話が、これまた朝青龍という力士のキャラクターをよく表している。