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「握力は計測不能でした」怪力無双・魁皇が語る“相撲嫌い”だった少年時代…『サンクチュアリ』よりも過酷な日々に「えらいところに来てしまった」
posted2023/07/08 11:20
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph by
Shigeki Yamamoto
現役時代、類まれな怪力を生かした豪快な相撲で人気を博した元大関・魁皇の浅香山親方(50歳)。歴代2位の通算1047勝、歴代1位タイの大関在位65場所という偉大な記録を持つ名大関だが、入門前は「こんな世界に入りたくない!」と角界入りに消極的だったことはあまり知られていない。“流され体質で相撲嫌い”だった怪力少年は、いかにして相撲に開眼し、「花の六三組」に名を連ねることになったのか。ロングインタビューで「心優しき剛腕」の実像を繙いていく。(全3回の1回目/#2、#3へ)
「人前で裸になるなんて…すごくイヤだった」
――福岡県直方市出身の浅香山親方ですが、幼少期はどんな子どもでしたか。やはり小さい頃から体を動かすのが好きだったのでしょうか。
家が山のほうだったので、外で遊ぶことが多かったですね。出ていったら遊びっぱなしで、夕方遅くまで帰ってこないなんてこともよくありました。小学2、3年生の頃からは、数年間ですが空手を習いました。なぜ始めたかは覚えていないんですが、1日だけ練習をサボったことが父親にバレて、「そんないい加減な気持ちで行くんだったらやめろ!」って、その日の夜に道着を家の外で燃やされて(笑)。
――えーっ!
結局、空手はそのまま終わってしまったんです。中学に上がってからは、友達に誘われて柔道部に入りました。どちらかというと周囲に流されがちで、自分から『何かしたい』と強く思ったことがないまま育ってきたんだと思います。
――親方は中学卒業後に入門されていますが、相撲との出会いは。
この世界に入るときも、あまり自分の意思とは関係ありませんでした。最初のきっかけは小学生のときです。当時は地域の相撲大会があって、体が大きかったせいで半ば強制的に出場することになっていて……。小さい頃は、相撲という競技のことも知らなければ、まして人前で裸になるなんて考えもしないこと。空手や柔道のように道着を着ているほうがカッコいいと思っていましたから、すごくイヤだったのを覚えています。