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首位ヤクルトとの決戦直前に退任発表、それでも2011年落合中日が逆転優勝できた理由とは? 井端の笑顔、吉見の雄叫び、そして落合の目には…
posted2022/09/22 06:03
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Hideki Sugiyama
首位ヤクルトを猛追し、逆転Vの可能性がある中で発表された衝撃の監督交代――。東日本大震災があった2011年の落合中日を、チームの要だった谷繁元信の視点から振り返る。前編に引き続き、後編は谷繁と落合とのやり取りから始まる。
Sports Graphic Number1002号(2020年5月7日発売)の記事「中日ドラゴンズ『2011年の昂り』」を特別に無料公開します。※肩書きなど全て当時のまま 全2回の後編/前編は#1へ
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ここから全試合、いけるか――
あるシーズン、谷繁はゲームの序盤で落合から交代を命じられたことがあった。それからはしばらく先発で起用されなかった。
説明もない処遇に反発すら覚えたが、しばらくして落合がさりげなく呟いた。
「お前みたいに長くやってるキャッチャーはな、配球の傾向が出やすいんだ」
そしてそのシーズン終盤のある日、ゲーム前にトイレで用を足していると、隣にきた落合からこう言われた。
「ここから全試合、いけるか――」
落合との関係には感情を挟む必要がない
落合が就任してからの7年間、チームは3度のリーグ優勝を果たし、球団にとって半世紀ぶりの日本一にもなった。谷繁はその中で、守りを重視する野球の象徴としてキャリアの絶頂を過ごした。だが、指揮官と感情的な繋がりを持ったことはまったくと言っていいほどなかった。
落合との関係には好きとか嫌いとか感情を挟む必要がない。この7年間でわかったことだ。それは谷繁だけでなく、このチームにおける監督と選手の関係であった。
谷繁の予感に導かれるように9月決戦は舞台を整えてやってきた。
9月22日。中日対ヤクルト。