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「ヤクルトはすでに目一杯、落ちてくる可能性は…ある」10ゲーム差から逆転V、2011年落合ドラゴンズ“扇の要”谷繁元信40歳が狙いを定めた「4連戦」
posted2022/09/22 06:02
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Tamon Matsuzono
2011年、首位ヤクルトとの最大10ゲーム差をひっくり返し、逆転Vを成し遂げた中日ドラゴンズ。東日本大震災があった一年の落合中日をチームの要だった谷繁元信の視点から振り返る。
Sports Graphic Number1002号(2020年5月7日発売)の記事「中日ドラゴンズ『2011年の昂り』」を特別に無料公開します。※肩書きなど全て当時のまま 全2回の前編/後編は#2へ
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梅雨明けを笑う太陽がコンクリートを焼いていた。谷繁元信はシューズ越しに熱を感じながら階段を一歩一歩のぼっていた。ビール染みが残るナゴヤ球場の客席を一番上までいくと、また一歩一歩降りていった。
《思ったより時間がかかりそうだ……》
単調な登り降りを繰り返しながら谷繁は自らの計算違いを認めていた。
左ひざを壊したのは6月初めのことだった。本塁クロスプレーで相手走者に激突され、内側の靱帯を損傷した。
その時点では1カ月で戦線に戻るつもりだったが、プロ23年目、40歳で初めて壊したひざの治りは遅く、リハビリは芝生を歩くことから始めなければならなかった。
一軍のグラウンドから最も遠いところにいる“鉄人”
《今までこれほど地道なリハビリをやったことがあっただろうか》
谷繁はそのシーズンまで2500試合以上に出場していた。20年近く年間100試合を超えてマスクをかぶってきた。最近ではこの世界にお決まりの“鉄人”という形容詞を使われるようにもなっていた。
そんな谷繁が今は一軍のグラウンドから最も遠いところにいる。
球場の温度計は30度を超えていた。まだ朝方だというのに階段を歩くだけでシャツがびっしょりと濡れる。炎天下のグラウンドでは自分よりひと回りほど年の離れた二軍の選手たちが声を上げていた。