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弱小野球部だった下関国際が“甲子園決勝”にたどり着くまで…“部員5人時代”を知る元ロッテ宮崎敦次の証言「監督の言葉をずっと大切にしてきた」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/08/23 17:02
下関国際高校の野球部監督に就任した当初は、部員集めに奔走していたという坂原秀尚監督
「弱者が強者に勝つ醍醐味。監督がおっしゃった言葉をずっと大切にしてきた。野球エリートでもない、身長171センチの自分でも勝てる。そういう姿をプロで見せていきたい」
宮崎は入団会見でそう言って胸を張った。この年はドラフト1位中村奨吾内野手や、京都大学出身のプロ野球選手となった田中英祐投手(同2位、17年限りで現役引退)が注目を集めていたが、ドラフト6位から這い上がろうと宮崎は必死に戦った。一軍登板はわずかで、プロ初勝利も挙げられなかったが、完全燃焼してユニフォームを脱いだ。今も裏方としてプロ野球を支えている。
甲子園の中継では、涙する生徒たちに声をかける坂原監督の姿が映し出されていた。選手に寄り添う姿が印象的だった。宮崎が自身のグラブに監督の名前を入れて過ごしたように、きっとこの生徒たちも監督との強い信頼関係で結ばれているのだろう。
屈託ない笑顔を見せながら、懐かしそうに高校時代を振り返る宮崎の姿が鮮明に蘇ってきた。
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