甲子園の風BACK NUMBER
村上宗隆が6打数4三振…高校時代の“天敵”が語る弱点「デッドボールでめっちゃ睨まれました(笑)」「ただ、プロになって…」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKento Kawabata
posted2022/08/23 11:03
3年夏の大会後に交流が始まった村上と川端(右)。川端は高校時代、村上を6打数4三振に抑えていたが、その理由と今の村上について聞くと…
「(センターまで121m超えの)藤崎台球場のバックスクリーンに打ったんですよ。『結構飛ばすバッターだな、やばい1年生がいるな』って感じでしたね」
ボコボコに打たれた自分をスカウトしてきた鍛治舎監督
川端は京都出身。中学時代は南都ボーイズに所属していたが、最速は118キロほどの4番手投手で「練習試合の2試合目にやっとリリーフで投げるようなごく普通の左ピッチャー」だったという。
中2の2月。この日も予定通り、練習試合の2試合目にリリーフとして登板していた。相手は大阪の強豪・枚方ボーイズ。「ボコボコに打たれた」試合後、チームの監督に呼び出された。
「向こうのチームの鍛治舎監督が、4月から熊本の秀岳館高校にいくから一緒にどうや、と言ってきている。考えてみてくれ」
川端は驚きのあまり目を丸くした。それ以上に、打たれた自分をスカウトしてきた鍛治舎巧という男に興味が湧いた。後に、直球とカーブの伸び代を見込まれ、獲得に動いたことを聞いた。
「周りの人に聞いても、鍛治舎監督は凄い人だからと聞いたので、秀岳館高校に行くことを決めました」
鍛治舎の見込んだ才能は入学後、花開く。1年夏の終わりごろには最速130キロに到達し、秋の熊本大会でベンチ入りした。登板こそなかったが、決勝で九州学院と対戦、チームは村上に2安打1打点を許しながらも8-5で振り切り、その勢いのまま九州大会も優勝。翌年センバツでは1試合に登板し、最速137キロをマークするなど、ベスト4入りに貢献した。
今の村上からは想像がつかないですけど…
村上と初めて対峙したのは2年夏の熊本大会決勝だった。6回裏途中から2番手で登板し、7回裏に空振り三振に仕留めるなど、2回2/3を無失点に抑えた。この試合、田浦-川端-中井雄亮(3年)のリレーで村上を3打席連続空振り三振、9回裏には併殺打と完全に封じ込め、13-2で15年ぶり2度目となる夏の甲子園出場を果たした。