甲子園の風BACK NUMBER
村上宗隆が6打数4三振…高校時代の“天敵”が語る弱点「デッドボールでめっちゃ睨まれました(笑)」「ただ、プロになって…」
posted2022/08/23 11:03
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Kento Kawabata
もはや異論はないだろう。今季、NPB史上初の5打席連続本塁打を筆頭に、22歳シーズンでの最年少40号到達、そして2年連続100打点…。プロ5年目の村上宗隆。彼こそが今、令和初となる3冠王に一番近い打者と言える。
ヤクルトのみならず、球界の主砲へと成長を遂げた村上には、熊本の九州学院時代に「天敵」がいた。球児が甲子園に出場できるチャンスは1年夏、2年春夏、3年春夏の計5度。村上は2015年の1年夏に聖地の土を踏んで以来、残りの4度の出場機会をすべて同じ高校に阻まれ続けた。
秀岳館高等学校――。鍛治舎巧監督が率いた新興勢力が、「火の国」で隆盛を誇った時代だった。
秀岳館には、村上と同学年に世代トップクラスの左腕が2人いた。ひとりは現ソフトバンクの田浦文丸。そしてもうひとりが日本代表にも選ばれ、高校卒業後、立教大学へと進んだ川端健斗だ。通算対戦成績は6打数1安打4三振。川端が当時を回想する。
村上の対策は外角の徹底
「村上の対策は外角の徹底でした。逆に他の対策が見当たらないっていうくらいです。あとは高さだけを間違わなければ打たれない。村上も外の球を振る時は大分バットとボールが離れている感じだったので、内を狙って甘く入るリスクより、長打が出にくい外を攻めて、単打はOKという感じで投げられたと思います」
先にその名を全国に知らしめたのは村上だった。入学直後から4番に座り、1年夏の熊本大会初戦、初打席で満塁本塁打を放った。15歳ながら身長1メートル85センチ、体重83キロの堂々たる体躯から、ついた異名は「肥後のベーブ・ルース」。川端は、その時の映像を通して「村上宗隆」の存在を知ることになる。