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高校生・大谷翔平の二刀流伝説…大阪桐蔭・藤浪晋太郎から特大本塁打、最後の夏は「160km出すよりも日本一になって岩手の方々に」 

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photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS/Nanae Suzuki

posted2022/08/22 17:00

高校生・大谷翔平の二刀流伝説…大阪桐蔭・藤浪晋太郎から特大本塁打、最後の夏は「160km出すよりも日本一になって岩手の方々に」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama/JIJI PRESS/Nanae Suzuki

花巻東時代の大谷翔平と日本ハム、エンゼルスでの大谷翔平。唯一無二の二刀流を築いた歴史とは?

「ナイスバッティング!」

 高校卒業後、二橋は“大谷からホームランを打った男”として幾度となくメディアに取り上げられ、その状況に辟易した時期もあったという。しかし現在は「今でも取材されることがありがたいと思うようになったんですよね」、「歳を重ねるごとに、あの物議を醸したポール際のホームランも『すごいことをしたんだな』って思えるようになりました」と語っている。

 メジャーの舞台で活躍する大谷は、二橋にとって間違いなくかけがえのない存在である。

18歳で語った「世界レベルで活躍する選手に」

<名言4>
160km出すよりも日本一になって岩手の方々に喜んで欲しかった。
(大谷翔平/Number809・810号 2012年8月3日発売)

◇解説◇
 花巻東のエースとして最後の夏に臨んだ大谷は、前述した岩手県大会決勝でまさかの5失点を喫し、高校野球生活に別れを告げた。

 かねてから逸材として期待されていた大谷だが、決して順風満帆の3年間を過ごしてきたわけではない。

 2年夏前には左股関節の負傷で投球練習を禁止され、走り込みに専念。トレーニングと食事改善に取り組んだことでその体躯を手に入れたが、センバツ大会では制球が安定せず、王者・大阪桐蔭を相手に苦渋を嘗めていた。

 全てを懸けて臨んだ夏、準決勝で160kmを記録したことでメディアの注目度は一層高まったが、大舞台に立つことができなかった。それでも大谷は試合後、自らの力を甲子園で証明できなかったことよりも、生まれ育った故郷への思いを口にした。

 偉大な先輩・菊池雄星でさえも成し遂げられなかった、東北に、岩手に優勝旗を――。それこそが前人未到の領域へと向かう原動力だったのだろう。

 なお大谷はドラフト会議で日本ハムに指名される前、こんな“宣言”もしていた。

「野茂(英雄)さんやダルビッシュ(有)さんがアメリカで結果を残して、日本人の目標のレベルが変わりました。自分も目標とされるように、世界レベルで活躍する選手になりたい」

 それから10年、まさにメジャーリーグを席巻している大谷は目標を現実にし、さらなる高みを目指している。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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