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高校生・大谷翔平の二刀流伝説…大阪桐蔭・藤浪晋太郎から特大本塁打、最後の夏は「160km出すよりも日本一になって岩手の方々に」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS/Nanae Suzuki
posted2022/08/22 17:00
花巻東時代の大谷翔平と日本ハム、エンゼルスでの大谷翔平。唯一無二の二刀流を築いた歴史とは?
それは大谷が投げた直後の攻守交代後、マウンドに上がった際の印象だ。藤浪は当時から190cmを超える長身だけに、ピッチングの際に踏み出す左足は、バッター側へと近づくことになる。大谷は、その特徴が同じだったのだ。
その後、同校史上初となる春夏連覇を果たすエースへと駆け上がった藤浪にとっても、この感覚は新鮮なものだったのだろう。
“最後の夏”県大会決勝でホームランを打たれて…
<名言3>
家族で大谷の試合を観戦したいんですよね。
(二橋大地/NumberWeb 2022年7月26日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/854035
◇解説◇
大谷は現在所属するエンゼルスで、チームメートやファンどころか時には対戦相手をも魅了する。
そんな彼の人となりが高校時代に見えた試合が、2012年夏の岩手県大会決勝、盛岡大附戦だ。
この試合、勝敗の分水嶺となったのは1本のホームランだった。盛岡大附が1-0のリードで迎えた3回表1死一、二塁のチャンス。4番打者の二橋が、ピッチャー大谷の投じた148キロのストレートを引っ張り、レフトポール際へと大飛球を放つ。際どい判定は値千金の3ラン本塁打となった。
出身地の横浜から盛岡へと“野球留学”した二橋。実は高1秋の時に見た同学年・大谷に衝撃を受けていた。
「まだ線は細かったけどえげつないボールを投げていて。甲子園に行きたくて盛岡まで来たのに、『こんな奴がいるなんて聞いてないよ!』みたいな」
しかし、その大谷を打ち崩すために盛岡大附は徹底的に打力を磨き、二橋らが最上級生となった最後の夏に、大谷を攻略したのだ。
当時から大谷に対する期待値が高いゆえ、“敵役”となった感もある盛岡大附だったが……決勝戦後には大谷から直接こう言葉をかけられたという。