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甲子園の風BACK NUMBER
あの5打席連続敬遠の直前、18歳の松井秀喜が語っていた“ある目標”「じゃあ、バックスクリーン」「ドカベンでそんなシーンなかったですか」
posted2022/08/21 11:02
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph by
NIKKAN SPORTS
松井が3年生となった春、星稜はセンバツ準々決勝で敗れ、北陸勢初の全国制覇の夢は夏へ持ち越しとなった。日本代表に選ばれた主砲・松井を擁し、チーム力からしても夏の県大会を星稜が制する確率は高かった。しかし、どんな強豪でも「初戦」は何が起こるか分からない。切符を手に特急サンダーバードに乗り込み、金沢に向かっていた。
甲子園で優勝以外に成し遂げたい目標を聞くと…
球場に着くと、星稜ナインはスタンドの外で待機していた。「あれ、どうしたの?」。松井から声をかけてきた。初戦が心配だったこと。取材ではないので記者席には入らず、外野席でのんびり観戦しようと思っていることを伝えた。
「だったらバックスクリーン近くに座ってて」
「まさか、そこに打つってか」と返すと松井はふふっと笑った。
バックスクリーンを指定してきたのには理由がある。日本代表に選ばれた2年時のアメリカ遠征中に、甲子園で優勝以外に成し遂げたいことはあるかを問うた際だった。考える時間もそこそこに「スコアボードの松井の文字にぶち当てて電光掲示板を破壊する、ですかね。(漫画の)ドカベンでそんなシーンなかったですか」。答える前に口癖の「どうせなら目標は大きく」はもちろん添えられている。途方もない事を言ったものだが、彼なら実現しそうな気すらした。
ただ、県大会初戦で観客はさほど多くなく、外野スタンドはその時、開放されていなかった。試合後、取材エリアに闖入すると「いなかったじゃん」とクレームをつけてきた。事情を説明し「なんだ。じゃあ次の機会に」となって、大阪に戻った。
明徳義塾戦でも、松井「バックスクリーンね」
星稜は優勝し、甲子園に駒を進める。そうして再び会ったのが、1992年8月16日の明徳義塾戦だった。甲子園内の次試合チームの待機場所からベンチへ向かう途中にあるトイレで鉢合わせした。