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甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園を広いとは感じなかった」1年生4番・松井秀喜16歳が涙ながらにのぞかせたプライド…先輩の大阪桐蔭58発大砲に「飛んでないじゃん」
posted2022/08/21 11:01
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
松井秀喜、5打席連続敬遠――。1992年8月16日、甲子園が揺れた夏から30年。松井を1年生の時から取材し、3年時は観客席から見守った元『日刊スポーツ』記者が、高校最後の夏で「5打席連続敬遠」に至った怪物の秘話を明かす。<全2回のうち前編/後編は#2へ>
大きな背中を小さく折り曲げて、注目のスラッガーは泣き崩れた。「またやり直します」。甲子園の取材通路。16歳、高校1年生の松井秀喜は長椅子に座ったまま、敗戦のショックと4番バッターの責任感にうちひしがれていた。
涙を流しながらも報道陣の質問に精いっぱい答えようとしていたところに、彼本来の誠実さが現れてはいた。「甲子園を広いとは感じなかった」。最後の方で必死にひねりだした言葉に、彼のせめてものプライドがのぞいていたのだと、あとから気付いた――。
石川県の“この夏のピカイチ君”
松井を知ったのは1990年の春だった。筆者が在籍した『日刊スポーツ』は毎年、各都道府県から“この夏のピカイチ君”を投打でそれぞれ選出している。その情報収集のため、石川県の高野連会長に電話をすると、「そりゃもうバッターは星稜の松井秀喜君ですよ。ちょっと物が違います。大阪からだと大変だろうけど、一度見に来て損はないですよ」と、ひときわ大きなトーンでPRしてきた。
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「それほど凄いのなら秋のドラフト会議で指名されそうですね」
「何言ってんの、まだ1年生だって。1年生なのに、もう星稜の4番打ってるんですよ」
そう告げると、松井の特大ホームランを思い出したのか、郷土のスター選手への自慢からか、会長の口調は砕けたものになっていた。
その評判は本物で入学して3日で名門・星稜の4番に座ると、春季県大会で4発、夏の石川大会でも2本塁打を放ち、2年連続9回目出場の原動力になっていた。