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「ワタルはマシーンみたいだった」ブッフバルトが語る、遠藤航がシュツットガルトで“愛される”理由〈浦和時代の思い出も〉
text by
円賀貴子Takako Maruga
photograph byGetty Images
posted2022/08/04 06:00
今季も引き続きシュツットガルトでキャプテンを務める遠藤航。クラブのレジェンドであるギド・ブッフバルトもその活躍に期待を寄せる
――少し当時の話も。30年前のあのレバークーゼン戦、86分に決勝弾となるヘディングゴールを決めてシュツットガルトを優勝に導いたのは、何を隠そうブッフバルトさんでした。
ギド あのシーズンは本当にスリリングだったんだ。最終節を迎えた時点で、優勝できる可能性があるチームが3つもあった。フランクフルト、ドルトムント、そして僕たちシュツットガルト。フランクフルトはすでに降格が決まっていたロストックとのアウェー戦だったから、一番優勝の可能性が高かった。当時は携帯電話なんてないから、ベンチはラジオで他会場の試合経過を聴いていたんだけど、70、80分くらいになると、「フランクフルトが負けている」と聞かされて、勝てば自分たちが“マイスター”だということがわかったんだ。
それで僕たち守備の選手も前線へ出ていって……。そしてコーナーキックからクロスが僕のところに入り、それをヘディングした。あれは信じられなかった。今でもあのシーンが鮮明に思い出せるぐらいだからね。でも、ここで自分が決めたら優勝できるのだから、単純明快だった。
スタジアムにはシュツットガルトの人口の半分もいたかというほど、多くのファンたち詰めかけていた。今年、航が1部残留を決めるゴールを奪った時と同じような状況だったと思うよ。
――盟友であるMFマティアス・ザマーは、優勝したことを知らなかったというのは本当ですか?
ギド そう。マティアスは審判に文句を言ってイエローレッドをもらい、途中退場になっていたんだ。それで自分への失望から、シャワー室に閉じこもって、たぶん泣いていた。チームが10人でプレーすることになり、「自分のせいで優勝を逃した」って(笑)。だからすごい騒ぎになっているのを聞いた時は、「レバークーゼンが勝って、UEFAカップ出場が決まったんだ」と思ったらしい。そこへチームドクターが「マイスターになったぞ。出てこいよ」と(笑)。
――ザマーさんはブッフバルトさんに今も感謝しているでしょうね。
ギド いやいや、あのゴールの前にみんなでいい仕事をしていたから。もちろんあのゴールを決められたので僕は幸せだったけれどね。
――自分で得点を決めなくてはいけないと思っていても、いつもうまくいくわけではないですよね。
ギド そうだね、普通は反対で、ナーバスになって外すものだけどね。あのシーンでは幸いにうまくいった。
控えめなシュワーベンの人たちが認める
――優勝と残留という立場こそ違いますが、ブッフバルトさんにとってのあのシーンは、遠藤選手のゴールシーンに相当しますね。
ギド そうだね。昨シーズンのシュツットガルトは厳しい戦いが続いたけど、FWサーシャ・カライジッチ(26歳)、DFボルナ・ソサ(24歳)、そして航の3人がリーダーとして、常にポジティブなインパルス(推進力)を与えていた。あの試合で得点を決めたのがカライジッチと航だったのは、その続きだったと思う。
そしてロスタイムのあのシーンで、航は真のレジェンドになった。彼のキャラクターとリーダーシップを見ても、それに値する。言葉はそこまで達者じゃないけれど、完全にリーダーとして認められているし、ファンたちにもとても愛されている。
――決定的な瞬間でのヘディングゴール、キャプテン、また浦和レッズでプレーした経歴を見ると、ブッフバルトさんと遠藤選手には共通点が多いですね。ただ、レジェンドと言っても、地元育ちのブッフバルトさんやユルゲン・クリンスマンさんとは少し部類が違うのかなとも思います。遠藤選手はズヴォニミル・ソルドやクラシミール・バラコフのような外国人レジェンドに近いでしょうか?
ギド そうだね。あとはジョバネ・エウバルもそうかな。97年ドイツ杯優勝時の『黄金のトライアングル』のメンバー(エウバル、バラコフ、フレディ・ボビッチ)さ。
航はシュツットガルトで非常に早く慣れ、すぐに認められる存在になったけど、シュワーベン地方(シュツットガルトのあるドイツ南西の地域)の人たちのメンタリティーを知っていれば、それがそんなに簡単なことでないのがわかる。情熱と闘い、そしてその気持ちの入ったプレーで、それを短い期間でやってのけたし、クラブに大きなインパルスを与えた。それによって得たステータスを、航はこれから決して失うことがないだろう。今後、航のことを語る時はいつもポジティブになるはずだ。
――シュワーベンの人たちが簡単じゃないというのはどういうことでしょう?
ギド シュワーベン人はいつも、外から来た者を受け入れるまでに時間がかかるんだ。それはスポーツに限らずなんだけど、友情とか適応とかに関して最初すごく控え目。それなのに遠藤があれほど早く受け入れられたのは、あのパフォーマンスのおかげだと思う。
――レジェンドになったことで、ブッフバルトさんの場合は何か変わりましたか?
ギド あのレバークーゼン戦ではあまり変わらないね。その以前にW杯を制覇していたし、シュツットガルトでも既に一度ブンデスリーガ優勝を経験していたからね。僕の場合、1990年W杯タイトルが多くのことを変えたと思う。ドイツ全国、そして海外でも認められるようになったから。
もちろんシュツットガルトの選手ということで、シュワーベン地方ではいつも注目されてたわけだけど、W杯だとドイツ中、世界中が見ているわけだから。W杯以降、アウェーでミュンヘンやドルトムントで試合をすると、それまでは敵だった観客たちが、急にみんな自分のファンになっていた。