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野球クロスロードBACK NUMBER
「あれは、ホームランです」10年前、大谷翔平の甲子園出場を止めた“ポール際への一発”…盛岡大附4番に向けられた“疑いの目”、しかし大谷は
posted2022/07/26 11:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Sankei Shimbun
ちょうど10年が経った。
「映像はあんまり見ないですね。見る機会があればくらいで、自分からはないです」
とはいえ、28歳となった二橋大地にとって、あの一打の記憶が薄れることはない。
10年前の2012年7月26日。
盛岡大附の4番バッターである二橋は、花巻東との決勝戦でホームランを放った。映像を確認すると、レフトポールを巻いたようにも、少しかすったようにも見える。つまり、ファウルと判断することもできる。
この一発が、いまだに真実と疑惑の境界線を彷徨い続けているのは、相手ピッチャーの存在があまりにも強烈で、これが事実上、甲子園を決めたからである。
「あれは、ホームランです」
二橋が打ち砕いたのは、この夏の準決勝で当時の「高校生最速」となる160キロを叩き出した大谷翔平だった。
バッターとしても通算で50本以上ものホームランを誇るスター選手が、甲子園でも圧巻のパフォーマンスを披露する様を高校野球ファンは待望した。それが故に、楽しみを奪った盛岡大附と二橋は、いわば「ヒール」のような扱いを受けてしまうこととなった。
「それは間違いないです」
取材はもう慣れたと言う二橋でも、この話題を振られると少し笑顔が引きつってしまう。
ただし、幾度となく疑惑を追及されようとも、物語の主人公は事実に迷いなく胸を張る。
「あれは、ホームランです」
この自己肯定こそが、決断と歩みが間違っていなかったと証明するからである。
神奈川から岩手へ…そこで見た“別次元の住人”
神奈川県の出身で、横浜瀬谷ボーイズで中心選手だった二橋が盛岡大附を選んだのは、ボーイズのチームメートが多く進学することで心強さがあったこと。そして、甲子園という青写真を鮮明に描けたからだ。
「『甲子園に出たい』って気持ちだけで練習を見学した時に、すごく雰囲気がよくて決めました。行くまでは正直、盛岡がどこにあるかわからなかったです(笑)」
そんな一途な想いで神奈川から岩手まで越境した青年に、現実はそう甘くないのだと突きつけたのが、ほかならぬ大谷だった。