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野球クロスロードBACK NUMBER
「あれは、ホームランです」10年前、大谷翔平の甲子園出場を止めた“ポール際への一発”…盛岡大附4番に向けられた“疑いの目”、しかし大谷は
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySankei Shimbun
posted2022/07/26 11:03
2012年の岩手県大会決勝。花巻東・大谷翔平からホームランを放った盛岡大附・二橋大地がいま明かす「あの打席」の裏側
入学間もない1年生の春から4番を任されるほどのポテンシャルを秘める同級生に、二橋が固唾を呑む。その選手はバッティングのみならず、ピッチャーとしても突出していた。
1年生の秋。二橋の背筋が凍り付いた。
「これは……バケモンだ」
花巻東との県大会3位決定戦をスタンドから応援していた二橋にとって、結果こそ3回3失点ながら140キロ台のストレートを投げ込む大谷は、別次元の住人だった。
「『花巻東にとんでもないやつがいるぞ』って話は聞いてたんですけど、実際に投げているところを見た時に、まだ線は細かったけどえげつないボールを投げていて。甲子園に行きたくて盛岡まで来たのに、『こんな奴がいるなんて聞いてないよ!』みたいな」
当時の盛岡大附は、まだ小技や機動力を駆使して得点を奪い、投手陣を中心に最少失点で勝利をもぎ取るような野球だった。
それが、現在のような超攻撃野球に変貌を遂げた要因こそ大谷なのである。
二橋たちの世代が最上級生となった11年秋の県大会準々決勝。盛岡大附は「ピッチャー・大谷」と対戦せず、花巻東に敗れた。
監督の関口清治は、この日を境に意志を固めたという。
「夏は大谷が投げる。打たないと勝てない。バッティングをとことん鍛えてみよう」
徹底した大谷対策「あの1週間は大きかった」
秋の敗戦後に迎えたオフから、全体練習の8割以上、バットを振り込む。全球フルスイング。フォームが崩れたとしても、しっかりバットを振り抜いていれば許容された。
それは、二橋にとって好都合であり、大きな転換期でもあった。
「もともと飛ばすことには自信があったので、チームがそういうスタイルになったことでより豪快なスイングになりましたね。軸足にしっかり重心を乗せて。タイミングも大谷を意識してかなり早くしていて。それくらいしないと打てないと思っていました」
冬を越え、春を迎えた頃には、二橋は盛岡大附で不動の4番バッターとなっていた。
実感する成長曲線。脅威に感じていた相手との距離が縮まっただろうと自信を漲らせていた二橋は、山の高さを実感した。
「ま、マジか!?」
大谷が夏の県大会準決勝で高校生最速となる160キロを記録したのである。
一瞬だけ言葉を失う。ただし、背筋に1年生の秋のような凍てついた感覚はなかった。むしろ、この1球がよりその気にさせた。