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野球クロスロードBACK NUMBER
聞かれ続けた「プロで大谷選手と対戦したい?」元盛岡大附・二橋大地が明かす、あの岩手大会決勝“物議のホームラン”からの10年
posted2022/07/26 11:04
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
荒れた2012年の岩手県大会決勝。
大谷翔平の甲子園を阻んだが故に、ヒーローになるはずの勝者はヒールの扱いを受けた。
高校球界のスターからホームランを放った盛岡大附の二橋大地は、周囲の雑音を感じ取りながらも、目的を果たせたことに安堵した。
「気にならなかったって言ったら嘘かもしれないですけど、岩手に来た理由が甲子園だったんで。嬉しさのほうが強かったです」
二橋がそこまでナーバスにならずに済んだ理由に、寮の規則として「携帯電話の使用禁止」という決まりもあった。インターネット上で飛び交う名無したちの批判を目の当たりにしなかったし、甲子園前の取材でもそのことを聞かれることはなかった。だから、この時は自分が打った一発が「疑惑」だと囁かれていることもいまいち理解していなかった。
ただ、別の意味でのプレッシャーが、二橋とチームに圧し掛かってもいた。
当時の盛岡大附が1995年夏の初出場から甲子園未勝利で8連敗中だったこと。そして、高校球界屈指のスター選手を打ち崩したことで、「大谷を打ったチーム」という十字架を背負わされたことである。
「絶対に勝ってやる! って思ってました」
結果的にその気概が空回りとなった。
引退後に知った“あの一発の波紋”
甲子園での初陣、立正大淞南戦。1回に4番・二橋自らセンターオーバーの二塁打で1点を先取したものの、延長12回までもつれ込んだ接戦を4-5で落とした。
あの大谷を打ったのに、負けた。
10年が経過した今でも、二橋の言葉には悔しさがにじむ。
「だからこそ、初戦で負けたのはちょっと。悔しいっていうより情けないって気持ちでした。あの甲子園で何回か勝っていれば、花巻東の試合のことをそこまで言われることもなかったのかなって、今は思いますけど」
二橋の回想は、その後の自分を取り巻く環境を暗示しているようであり、引退時にかけられた関口清治監督の言葉にも込められているようでもあった。