熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「私もアレックスも、無給で仕事をしているんですよ」三都主アレサンドロ44歳が“身銭を切って”ブラジルで追う夢とは〈本人に聞く〉
posted2022/07/03 11:04
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
ご両親、妻・直美さん、三都主サッカーアカデミーやアルコの関係者から話を聞いて、三都主アレサンドロの人となりがかなりの程度、わかってきた。その一方で、いくつかの疑問も湧いてきた。
マリンガ滞在の最終日、三都主に話を聞いた。
ジーコがJリーグでプレーしていたから
――まず、1993年に明徳義塾高から勧誘されたときのことについて。母マリアさんは、「最初は日本行きに反対だったが、学校関係者の『日本で高校へ行けるし、仮にプロになれなくても大学へ進学できる可能性がある』と言われて気持ちが変わった」と話していました。自分ではどう考えていたのですか?
「高校を出たら日本でプロになり、Jリーグでプレーすることしか考えていなかった」
――しかし当時、日本はJリーグが創設されたばかりで、ワールドカップ(W杯)には一度も出場していなかった。一方、ブラジルはW杯全大会に出場し、すでに3度、優勝していた(注:その後、1994年と2002年にも優勝)。ブラジルと比べて、レベルの差は歴然としていました。また、グレミオ・マリンガでは将来を嘱望され、プロ契約を結ぶ寸前だったとも聞いています。そのような状況で、なぜ日本へ行こうと思ったのですか?
「一つの理由は、子供の頃から憧れていたジーコがJリーグ(所属先は鹿島アントラーズ)でプレーしてたから。当時、ブラジルでも毎週日曜日にJリーグの試合のテレビ中継があり、欠かさず見ていた。スタンドはいつも超満員。とても華やかで、『自分もあんなところでプレーしたい』と思っていた。
別の理由は、当時僕が所属していたグレミオ・マリンガの状況にあった。プロ選手でも給料が出ないことがあり、優秀な選手であってもクラブが法外な移籍金をふっかけるので他クラブへ移ることもできず、飼い殺しにされる選手を何人も見ていた。そのままグレミオ・マリンガにいてプロになるよりも、日本の高校を出て日本でプロになった方がいいと思った。
――もし明徳義塾の関係者が大学の話をしなかったら、マリアさんは反対のままだったかもしれません。その場合はどうしたと思いますか?
「日本へ行っていなかったと思う。親の反対を押し切って日本へ行くのは無理だし、そもそもブラジルでは、未成年者は両親の同意がなければ外国へ渡航できないからね」
僕たちの代が3年時、上下関係はなくしたんだ
――なるほど。明徳義塾の関係者がマリアさんを説得したことで、現在の三都主があるのかもしれません。ただ明徳義塾では、言葉、気候、食事の違いもさることながら、文化やメンタリティーの違いにも悩まされたのではないでしょうか?