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『オールドルーキー』顔負けのドラマ性… “ブラジルで運営クラブが2年連続昇格”三都主アレサンドロの引退後がスゴい〈両親・妻に直撃〉
posted2022/07/03 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
5月29日、ブラジル南部パラナ州マリンガのウィリー・デイビス・スタジアムで、“小さな奇跡”が起きた。
この町に本拠を置くアルコ・スポーツ・ブラジル(通称アルコ)が州2部の準決勝第2レグでPSTCを2-1で破り、2戦2勝で決勝進出を果たした。上位2チームが昇格することから、創立後わずか1年半で州1部入りを決めたのである。
昨年、州の一番下のカテゴリーである3部で優勝して2部へ上がっており、2年続けて昇格して州のトップリーグへ到達した。これは、122年を数えるブラジルのフットボール・リーグ(当初はアマチュアで、1933年からプロ)の歴史の中で初の快挙である。
「世界に通用する選手を育てたい」という思い
アルコは、愛知県小牧市にある人材派遣会社が母体となって2020年末に設立され、元日本代表左SB三都主アレサンドロがCEOを務める。
クラブ名は、日本語の「歩こう」に由来する。愛称は「サムライ・ブラック」で、マスコットは黒い鎧兜に身を固め、左手にボールを持ち、右手を強く握り締めているアニメの主人公のような侍。かつて「サムライ・ブルー」で活躍した三都主が、「日本的で、カッコ良くて強そうなものを」と考えて選んだという。
マリンガで生まれ育った三都主は、かつてプロ選手だった父親もプレーしたグレミオ・マリンガのアカデミーに入った。U-17在籍中の16歳のときに明徳義塾高(高地)から勧誘を受けて日本へ。卒業後に清水エスパルスに入団し、ドリブル突破で左サイドを切り裂き、左足から強烈なシュートを放ってゴールを量産。1999年には史上最年少の22歳でJリーグMVPに選ばれた。
2001年に日本国籍を取得し、日本代表に選ばれて2002年と2006年W杯に出場。浦和レッズ、ザルツブルク、名古屋グランパスなどでも活躍したのち、2015年に妻・直美さん、日本で生まれた4人の子供を伴って生まれ故郷のマリンガへ。地元のクラブなどでプレーした後、2016年に現役を引退した。
この年の末、「世界に通用する選手を育てたい」という思いから三都主サッカーアカデミーを設立。さらに、育成した選手の受け皿として2020年末、アルコの創設を働きかけた。
ピラミッドの最底辺から一気に連続昇格
ただし、この時点で、アルコはフットボール王国ブラジルの巨大なピラミッドの最底辺に加わったにすぎなかった。
ブラジルには全国リーグが4部まであり、124チームある(Jリーグは3部までで、チーム数は58)。
それだけではない。年初に全土の26州1連邦直轄区で選手権が行なわれており、プロチームの総数は734(22年5月時点)。このとてつもない層の厚さが、フットボール王国ブラジルの強さの源だ。