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『オールドルーキー』顔負けのドラマ性… “ブラジルで運営クラブが2年連続昇格”三都主アレサンドロの引退後がスゴい〈両親・妻に直撃〉 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2022/07/03 11:02

『オールドルーキー』顔負けのドラマ性… “ブラジルで運営クラブが2年連続昇格”三都主アレサンドロの引退後がスゴい〈両親・妻に直撃〉<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

自身の運営クラブの2年連続昇格に喜ぶ三都主アレサンドロ

 州協会に新たに登録したクラブは、その州の一番下のカテゴリーに参入し、まずは州1部入りを目指す。州1部での成績によって全国リーグ4部への参入が認められ、以後、全カテゴリーで上位4チームが昇格し、下位4チームが降格する。

 パラナ州は3部まであるから、理論上は最短7年でブラジル1部へ到達可能だ。

 6月7日、アルコはアウェーでフォス・ド・イグアスと州2部決勝第1レグを戦い、3-3で引き分けた。12日にホームで第2レグが行なわれ、筆者はこの試合を取材した。

 ブラジルでは、声を出しての応援は禁じられていない。地元観衆が立ち上がって声援を送る。クラブ創設1年半にして、すでにかなりの数のサポーターが付いていた。

 アルコは序盤に決定機を作ったが、決め切れない。前半の途中からリズムが狂い始める。前半は0-0で終わり、後半に入ってからもやや劣勢だった。

 後半19分、フォス・ド・イグアスが見事なミドルシュートを決めて先制。以後はアルコが猛反撃し、後半アディショナルタイムに左CKから頭でつないでゴールを割った。総立ちで応援していた観衆が飛び上がって喜んだが、判定はオフサイド。さらに右サイドを突破し、強烈なシュートを放ったが、ファーサイドのポストに当たって跳ね返った。

 結局、0-1で敗れ、州1部昇格に優勝という華を添えることはできなかった。それでも、創立からわずか1年半で州3部から1部へ到達した快挙が色褪せることはない。

三都主の両親に幼少期の秘話を今について聞いた

 試合日の朝、三都主の両親に話を聞いた。2人が住むアパートは、マリンガの新商業地区の真ん中、市の一等地にある。

 かつて、この地域には鉄道が通り、周囲には民家しかなかったという。しかし、20数年前、清水入団後間もない三都主が将来の発展を見越して数百平米の土地を購入。その後、鉄道が廃線となって再開発が始まると、建設会社とタイアップして数件の店舗と高層アパートを建てた。

 これらの店舗の一つが、現在、三都主サッカーアカデミーの事務所となっている。店舗の上にあるアパート数軒を三都主が所有し、両親、妹一家、アルコの関係者らが住んでいる。

 筆者は、三都主の父ウィルソンさんと母マリアさんに2002年W杯の開幕直前にインタビューしており、その後も何度か会っている。2人は、以前と全く変わらない笑顔で迎えてくれた。

 ウィルソンさんは77歳というが、引き締まった体は60代にしか見えない。長年、選手として活躍しており、マリンガではかなりの有名人だ。

ガリンシャがいたボタフォゴと対戦したよ

――まずはウィルソンさんの生い立ちを教えてください。

「生まれたのは、バイア州(ブラジル北東部)の田舎町。どうしてもプロ選手になりたくて、16歳のときに叔父を頼ってゴイアス州(ブラジル中央部)の小都市へ移り住んだ。州の強豪ゴイアスのテストを受けて合格し、1962年、17歳でプロ契約を結んだ」

――ポジションは?

「主にCBで、右SBもやった」

――失礼ですが、CBとしては非常に小柄ですよね。

「身長169cm。でも、空中戦で負けなかった。ボールの落下地点を誰よりも早く察知できたし、ジャンプ力があったからね。スタミナは、マラソン選手にスカウトされたほど。相手ボールを奪うと、自分で持ち上がって攻撃に参加するのが好きだった」

――これらの点は、三都主に遺伝として伝わったのでは?

【次ページ】 息子がプロになり、ジーコ監督の下でW杯に出るとは

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