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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“自ら戦力外”でトライアウト→梶谷隆幸“先輩”のスマホでDeNA入団→初本塁打、母の死を経て… 白根尚貴29歳は今、何をしている?
posted2022/06/20 17:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
ソフトバンクを自ら自由契約になった白根尚貴は2015年11月、静岡県草薙球場で行われた12球団合同トライアウトに参加した。内訳は投手33人、野手14人だった。当然のことだが、自分から“戦力外”を希望してトライアウトに参加したのは白根だけだった。
「参加申し込みはしたけど“行きたくない”と思いました。ピリピリしたムードで、僕以外の選手は戦力外を通告されて、もう1回NPBに復帰を――と思っていますが、僕だけ立場が違いました。みんな命がけという感じで、もちろん僕もそうだったのですが、“切られた選手”と“自分から出ていった選手”の違いを感じました」
筆者は毎年、NPBのトライアウトを見に行くが、その雰囲気は独特だ。有望な選手には事前に球団から連絡が入ることもあると言われる。
「事前連絡は全然ありません。ぶっつけ本番でした。僕が自由契約を決めたのは、トライアウトの2週間前でした。当時、フェニックスリーグが宮崎で行われていましたが、それには全部帯同して、そのまま宮崎での秋季キャンプに参加するというタイミングで福岡に戻って退団の手続きをしたので、他球団のスカウトの方が僕を見る機会はなかったのだと思います。
その点、10月1日に自由契約になった選手とは違います。ただ、僕はその分、ぎりぎりまで試合に出させてもらって投手の球を打っていたので、トライアウトでは有利だったとは思います」
高校の先輩である梶谷さんから電話が
トライアウトで白根は7打数3安打だった。選手を採用したいと思うNPB球団はトライアウト終了後、1週間以内に連絡をすることになっている。
「トライアウトが終わったその日の夕方に巨人さんから連絡があったのですが、“最初は育成で”と言われたのでお断りしました。育成契約を断って球団を出たわけですから、ソフトバンクさんにも説明がつかないですから。“絶対支配下選手になる、なれなかったらどこにも行かない”と決めていました。
すると3日目に、当時DeNAにいた梶谷隆幸さんから電話がかかってきました。梶谷さんは開星高校の先輩です。最初は、DeNAの高田繁GM(当時)が、“うちは人数の都合で取れないな、と言っている”との話でした。梶谷さんは高校の先輩として本当に心配してくださっているんだな、と思ったんです。それから“(移籍)決まった?” “まだです”という感じのやりとりがあったんですが、最終の7日目にまた梶谷さんから連絡がきて、“高田GMから話があるみたいだから代わるね”って。
高田さんは“監督が中畑清さんからラミレスさんに代わるところで、日本人の右打者が欲しいので、最低年俸スタートからだけど、支配下で用意するので来てほしい”とのことでした。即答で“お願いします”と言いました。僕のDeNA入団は、梶谷さんのスマホで決まったんです。シュールですね(笑)」
野球に対する思いは負けていないなと
こうして白根尚貴は横浜DeNAベイスターズの支配下選手になった。