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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“自ら戦力外”でトライアウト→梶谷隆幸“先輩”のスマホでDeNA入団→初本塁打、母の死を経て… 白根尚貴29歳は今、何をしている?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2022/06/20 17:02
DeNA時代の白根尚貴
「春季キャンプは嘉手納の二軍でスタートしたのですが、1週間くらいでけが人が出て一軍に呼ばれて宜野湾に移りました。
ずっと一軍でやっている選手に比べると劣っていると痛感したのですが、代打枠や控えの選手には負けないぞと思っていました。
キャンプは各球団の色が出ます。ソフトバンクは1日1500スイングを3週間とかすごくハードな練習メニューなんですが、DeNAは選手に任せていました。ソフトバンク時代と同じようにバットスイングをしていたら“なんでそんなずっとバット振ってられるの?”って言われたくらいですが、野球に対する思いは負けていないなと思いました」
プロ入り6年目の初ホームラン
開幕はファームで迎えたが、4月14日に一軍に昇格。「前週の週末に急遽呼ばれて、愛媛県の坊っちゃんスタジアムに移動してくれと言われ、いきなりスタメン、6番一塁で出場しました。この年、一軍は3試合4打席で無安打でしたが、ファームではほぼ全試合出場しました。守備は三塁、一塁でしたが、出場機会を増やしたくてオフのフェニックスリーグでは外野にも挑戦しました。最初は(フライに)万歳するようなレベルでしたが、何とか守れるようになりました」と語る白根。守備面でも能力を上げて戦力アップを図った移籍2年目の6月、一軍初安打をホームランで記録した。
「ハマスタでのオリックス戦、交流戦の終盤に急遽一軍上げてにもらって、代打で使われるようになりました。そして3打席目でオリックスの佐藤達也さんから左翼にホームランを打ったんです。移籍して7打席目ですから、それほど時間がかかっていないようですが、プロ入りしてからなら6年目です。その間に手術もリハビリも自由契約も、トライアウトも経験しました。あまりにも濃い出来事が起こりすぎて感慨深くなってしまいました」
翌2018年も、白根はDeNAに在籍するが、一軍出場はなかった。
「実はこの年の4月にうちの母が死にました。母一人子一人で育ててくれて、ホームランボールもプレゼントしたんですが、病気でも何でもないのに突然死んでしまった。一人っ子だから喪主もやらないといけないし、実家に飛んで行って葬式を上げて戻ってきた。その年はすごく調子が良くて、二軍でも月間4割近く打っていたのですが、上に呼ばれることはありませんでした。モヤモヤしているうちにシーズンが過ぎて、戦力外になったんです。この年、僕は母と野球を失ったという感じですね。この年結婚もしましたし、いろんな意味で人生の節目でした」
25歳で“独立リーグのコーチ”になるという決断
NPBでの通算成績は、15試合17打数3安打1本塁打2打点、打率.176に終わった。