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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“自ら戦力外”でトライアウト→梶谷隆幸“先輩”のスマホでDeNA入団→初本塁打、母の死を経て… 白根尚貴29歳は今、何をしている?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2022/06/20 17:02
DeNA時代の白根尚貴
「まだ25歳で全然できるという感じだったので、台湾や韓国の野球も考えたのですが、時間が過ぎていくうちに現役続行の夢も冷めてきて、そんなときに四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツさんから“体が動く若いコーチを”という話をいただきました。東京に何回も足を運んでくださって、話をするうちに僕は小学校の頃から自分のためだけに野球をしてきたけど、人のための野球というのもいいかな、と思うようになって、お願いすることにしました。本当なら兼任コーチで行きたいところでしたが、当時の四国では制度的にダメだったんです。
でもほとんど現役でしたから、愛媛の選手よりも打てるし投げられるコーチでした。教えていると自分がグラウンドに立ちたくなりましたが、同時に今まで考えなかった打順のことや、“この選手はどういう練習をしたらどうよくなるのか”などを考える時間がすごく楽しくて。僕らがいたソフトバンクのコーチ陣もこうやって考えてくださっていたのかなと、すごく勉強になりました」
なぜ今は「少年野球の指導者」となったのか
筆者はこの時期にも白根尚貴に話を聞いている。白根は愛媛の選手たちについて「厳しさが足りない」「隙あらばサボろう、休もうとする気持ちが理解できない」と語っていた。豊かな才能に恵まれながら、故障や様々な事情で野球ができなかった期間が長かった白根にしてみれば「なぜ、めいっぱい頑張らないんだ」という思いだったのだろう。
2年間の愛媛でのコーチの経験は、白根にとって「選手から指導者へ」意識を切り替えるための時間だったようだ。
その後、白根が選択したのは「少年野球の指導者」。広島のバッティングセンターで行われていた野球教室での指導を経て、福山市の学童野球チームで指導をするようになった。
「高校野球のレベルがすごく下がっているな、と感じていたんです。それで土台となる小中学校が大事だと思って、ちゃんと基盤を作ってあげようと思いました。
今の子供は強く言われると委縮してしまいます。それよりもやって見せてわかってもらう方がいいと思って、そういう指導をしています。もちろん小中学生がすぐ、僕のようにできるわけはないですが、やって見せる方が納得してくれますね」
スポーツ用品メーカーの販促活動もしている
同時にスポーツ用品メーカー、アップセットの一員として現在は東日本を中心に販促活動をしている。
「DeNA時代にアップセットのバットを使ったのですが、ものすごく質が良くて。グローブやシューズなんかも品質がいいんです。アップセットはニーズに合わせて製品が作れるのでいいですね。販売店を回ると“試合に出てくれませんか”と言われるので、飛び入りで出たりもしています(笑)。今年29歳になりましたが、体はまだまだ全然、動きます。ご連絡いただければどこでも伺いますよ」
筆者は約10年前、まだ白根が三軍で四国の独立リーグと試合をしていたころから見ている。