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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「プロ入り直後にヒジ手術」「ストレスから1年半で27キロ減」「22歳で自ら自由契約」“山陰のジャイアン”29歳の壮絶野球人生
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2022/06/20 17:01
ソフトバンク、DeNAと渡り歩いた白根尚貴。今は何をしている?
そして2011年、ドラフト4位でソフトバンクに指名される。同期の同世代には武田翔太(宮崎日大-ソフトバンク)、松本剛(帝京-日本ハム)、高橋周平(東海大甲府-中日)などがいた。
「まだ高校生、未成年だったのでスカウトの方は監督と話をしておられたんだと思います。僕としては、純粋に指名されて喜んだという記憶しかありません」
しかし白根は入団した時点で、すでに肘に深刻な障害を抱えていた。
「高校2年の頃から自覚症状がありました。甲子園に出るとメディカルチェックがあるんですが、医師からは“靱帯がほとんど切れかかってるね”と言われました。3年の頃にはもう靱帯が飛んじゃってて、なかったんです。靱帯はパンツのゴムみたいに伸びるだけ伸びたら切れるんですね。あとはずっとごまかしごまかし、注射を打ちながら投げていました。監督には“あまり注射打ちすぎないように”、と言われました」
1年半で27キロもやせてしまいました
ソフトバンクも白根の状態には気が付いていたようで、投手ではなく野手として指名した。「今振り返ると、それまでは本職は投手だと思っていたので“投手としてやっていたら、今どうなっていたのかな、もうちょっと長くできたのかな”と思うこともあります。ただバッティングも得意だったので、野手で行くことにしました」と本人は当時の思いを明かす。
1月には肘の異状が見つかって、手術が決まった。
「球団のメディカルチェックで靱帯がないことはわかってしまうし、手術した方がいいのはわかっていました。キャンプイン前日にみんなキャンプ地の宮崎に移動するんですが、僕だけ真逆の東京の方へ飛んだんです。
肘を開けてみたら、周辺も痛んでいたので、靱帯を再建するトミー・ジョン手術だけでなく、クリーニングも含めていろんな治療も併せてやりました」
プロ選手になると同時に手術、リハビリ。この経験は高校生にとって本当にきつい経験だったに違いない。
「ふざけ半分だとは思うんですけど……“給料泥棒”と茶化してくる人もいて、堪えました。ストレスのせいもあって、1年半で27キロもやせてしまいました。トレーニングをして結構食べていたんですが、それでも自動的にやせたんです。ルーキーイヤーで全く野球ができない日が続いたので、メンタルがだいぶやられて、もやもやしたリハビリ期間を約10カ月過ごしました」
そして2年目、白根にとっては実質的なルーキーイヤーが始まった。