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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「プロ入り直後にヒジ手術」「ストレスから1年半で27キロ減」「22歳で自ら自由契約」“山陰のジャイアン”29歳の壮絶野球人生
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2022/06/20 17:01
ソフトバンク、DeNAと渡り歩いた白根尚貴。今は何をしている?
「春季キャンプは二軍中心のBでスタート、シーズンが開幕してからは二軍にほとんど帯同することなく、3軍で実戦感覚を取り戻すことに集中しました。
独立リーグの四国アイランドリーグplusのチームや、韓国KBOの二軍とも対戦しました。韓国との対戦は刺激的でした。韓国代表にもなった左腕の金廣鉉(当時SK、のちMLBでも投げる)投手とも対戦出来て、貴重な経験をさせてもらったなと思っています」
試合中に亜脱臼と関節唇を損傷した
しかし、白根は試合中に亜脱臼と関節唇を損傷する怪我を負った。
「腱板も一緒に損傷してしまっ故障が長引きました。結局、2年間でまともに野球ができたのが半年もなかった。ちょっとこれは体を改造しないとどうしようもないなということで、オフは筋力トレーニングに費やして、約10キロ体重を増量させて3年目に臨みました。三軍が主な舞台でしたが、打球も高校時代並に飛ぶようになるまで戻ってきて。長打も出始めました」
三軍戦ではチームトップの10本塁打を打ったが、二軍では7打数無安打。3年目オフの2014年、チームは白根に支配下登録の解除を通告したのち、育成選手として再契約する。背番号は55、65から123になる。
「三軍では結果を出してくれたけど、さすがに2年間ほとんど棒に振っているということもあるし、契約を延長するなら育成で。ということでした。ただこの時期には、手ごたえはつかみ始めた、と感じていました。育成選手になった2年目の2015年には二軍の主軸選手として一時期打率リーグ1位にもなりましたし、フレッシュオールスターにも選ばれました(試合は中止)。
そのオフ、球団に呼ばれました。ソフトバンクとしては5年目の契約は用意していただいていたのですが、“来年も育成で”ということでした。チーム事情もあるので、今から思えばわからないこともないのですが――ショックでした。まだ若くて結果が出ていなかったので、受け入れられませんでした」
球団は白根を台湾で行われるアジアウィンターリーグに派遣する予定だった。