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《伝説を止めた新球》イチローのバットが空を切った217打席目…下柳剛が語る“真っ直ぐの投げそこない”の真相「姑息ですね(笑)」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/06/25 06:02
記録更新中でも、カウントで追い込まれても、恐れずにバットを出すイチロー。一人だけ常識の外で野球をしていた
下柳はこのベテラン捕手が普段の投球練習から、いい音が出るようにと右投手用、左投手用、下手投げ用と3種類のミットを使い分けていることを知っていた。そして、いつも自分の思惑と一致するサイン。この時もそうだった。だから投げ始めたばかりのシュートに対する迷いは消えた。セットに入ると弱気の虫を腹の底に抑え込みながら、イチローの懐めがけて腕を振った。
すると白球はいつものシュートの軌道ではなく、鋭いフォークのように真下に落ちた。イチローの白いバットが空を切り、がっくりと膝を折った。
一瞬の静寂の後、ドームはたった1つのアウトに沸き上がった。イチローが喫した70日、217打席ぶりの三振だった。試合後、イチローはこうコメントした。
「三振してこれだけ喜んでもらえて。僕は幸せかな」
反対側のベンチでは逆転勝利を手にした下柳が記者に囲まれながら笑っていた。
「フォークボールのような感じでスコンと落ちたと思います。全く予想していなかった。いつもなら横滑りするところが、落ちたのはイチローだから力みがあって、それがかえっていい結果につながった。あの頃はいつも三振が取りたかった。気持ちいいから。特にイチローからは、ね」
たった1つの三振に、スタンドがどよめき、バッテリーがプライドや感情をむき出しにする。その光景が何よりもイチローが特別であることを証明していた。
「真っ直ぐの投げそこないやで」
後日、イチローはグラウンドで顔を合わせた下柳にこう聞いてきたという。
「あれ、142キロのフォークですよね?」
下柳はとぼけ顔で、飄々とこう答えた。
「真っ直ぐの投げそこないやで」
確かにあの試合の翌日、新聞各紙は三振を奪った球がストレートであったと伝えている。試合後、下柳がそう語ったからだ。
20年が経った今、下柳が真相を明かす。