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“巨人で戦力外になった男”30歳宮國椋丞の今「球団スタッフ入りも固辞」「チャンスをくれたDeNAに恩返しがしたい」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byJIJI PRESS
posted2022/05/09 06:02
プロ12年目、今年30歳になった宮國椋丞(右)。巨人戦力外→トライアウト→DeNA育成を経て再びプロ野球のマウンドに立った今、思うことは。本人が明かす
巨人で戦力外「もう少しいけるはず、まだ投げられる」
2020年11月に宮國は10年間過ごした巨人をリリースされた。移籍を模索するも、その10月に右肩痛を発症していたこともあり、他球団から声がかかることはなかった。巨人からは球団スタッフにという話もあったが、宮國はこれを固辞している。
「周りからはもう無理だろうみたいな感じがあったのですが、僕のなかではもう少しいけるはず、まだ投げられるという感覚はありましたし、こんな感じで引退はしたくないという思いが強くありました」
宮國の胸の内には2017年に他界した父・透さんの「投げられるんだったら、1年でも長く野球をつづけなさい」という言葉があった。心が折れそうになることも多々あったが、父の言葉を思い出しては踏み止まり、一歩一歩復活への道を進んでいく。
12月の合同トライアウトは腕が下がった位置でのピッチングとなってしまい右肩痛の影響は明らかだった。その後、宮國は怪我を癒すのと並行し、巨人時代から懇意にしていた内海哲也と自主トレをし、さらに内海の専属トレーナーだった保田貴史氏と二人三脚で自主キャンプを行い、自分を追い込んだ。孤独な戦いではあったが、この時期、右肩痛も含めコンディションは劇的に良くなったという。宮國は復活の手応えを感じていた。
「ここままでは終わってしまうという不安のほうが大きかったのですが、状態がよくなりチャレンジできるって思ったんですよね」
恩人・小谷正勝「僕よりも僕のことを知っている存在」
もうひとり、宮國にとって大きな援軍があった。それはコーチとしてルーキー時代から宮國のピッチングを見てきた小谷正勝氏だ。
小谷氏は、現役時代に大洋ホエールズで活躍し、コーチ時代はベイスターズで現指揮官の三浦大輔監督をはじめ齋藤隆コーチ、佐々木主浩氏、野村弘樹氏らを育て上げている。その高い手腕が評価され巨人やヤクルト、ロッテなど各球団で指導し数多くの好投手を輩出した名伯楽である。ここ近年は大病を患い現場を離れていたが、今季からDeNAのコーチングアドバイザーに就任している。
宮國は去就が未定だった昨年2月、自主キャンプ中に小谷氏を招きアドバイスを求めた。
「僕がプロになったときから見ていただいている方ですし、ある意味、僕よりも僕のことを知っている存在。ここ何年かは直接指導していただける機会がなかったので、現状を知るため自分のことを一番理解している小谷さんにお願いしたんです。本当、もったいないぐらいの方ですし、あのとき見ていただけたのはその後の自分にとってすごく大きかったと思います」