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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“2浪で早稲田合格→ドラ1指名”メジャーも経験した小宮山悟が浪人生に贈るメッセージ「1年や2年のブランクなんてどうってことない」
text by
澤田将太Shota Sawada
photograph byAsami Enomoto
posted2022/05/05 11:03
早稲田大学野球部の小宮山悟監督。現役時代は多彩な変化球を駆使する球界屈指の技巧派投手として活躍した
大学日本代表に選出された小宮山は、アメリカ遠征中にチームメイトから意外な一言を投げかけられた。これをきっかけに、小宮山はようやく自分への“正当な評価”を知ることになる。
「他のメンバーがどの球団が良いとか話していて、僕は『へぇ~』くらいに聞いてたんですけど、急に『小宮山はどこ行く気なの?』って話を振られるわけですよ。いや、そもそも行きたいところに行けるシステムじゃないし、『何言ってんだこいつら?』って(笑)。でも当然のように言ってくるから、『あれ? 俺ってもしかしてドラフト指名されちゃうような選手なの?』って思い始めたんです。
プロに行くような選手って、大抵がいわゆるスパルタなんですよ。小さい頃からずっとプロを目指して野球漬けの毎日を送ってきている。だから普通に野球をやっていただけの僕は、その自覚が持てなかったのかもしれない。親にプロ入りが叶いそうなことを伝えても『そんな浮き沈みの激しい商売するんじゃない』と反対されるぐらいですから(笑)。本人も含めて、周りの環境すべてが“プロ野球”にピンときていなかった。
でも、自覚はなくてもやっていく自信はあったんですよ。大学時代は日本で一番練習したと自負しています。特に石井監督になってからは精神面も含めていろいろなことを教わっていたので、ちょっとやそっとではへこたれないぞ、と。だって本当にきつかったもん(笑)」
プロ1年目から活躍も、当初は“技巧派”ではなかった
早大4年時に野球部主将を務めた小宮山は、1989年にドラフト1位指名を受けてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に加入。プロ1年目から6勝を挙げ、防御率はリーグ4位の3.27。先発・リリーフ合わせて30試合に登板し、投球回は170.2でチーム最多。文句のないスーパールーキーだ。ちなみに本人の自己分析では、当時はいわゆる“技巧派投手”ではなかったという。
「そもそも『技巧派ってなんだ?』という話ではあるんですけど、自分が持っている技術を駆使してアウトを取るという意識を持ったのは、1995年にボビー・バレンタイン監督が連れてきたトム・ハウスコーチに会ってからですね。伊良部(秀輝)みたいに150km後半を投げられたら違ったでしょうけど、僕の場合はたまたま速球が遅かったので」