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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“2浪で早稲田合格→ドラ1指名”メジャーも経験した小宮山悟が浪人生に贈るメッセージ「1年や2年のブランクなんてどうってことない」
text by
澤田将太Shota Sawada
photograph byAsami Enomoto
posted2022/05/05 11:03
早稲田大学野球部の小宮山悟監督。現役時代は多彩な変化球を駆使する球界屈指の技巧派投手として活躍した
あえてコンプレックスという言葉を使うのならば、小宮山の「自分は特別なものを持っていない」という“身体能力コンプレックス”は、伊良部という球史に残る速球派投手との比較を前提にしたものなのかもしれない。しかし小宮山は、球速をことさらに悲観するのではなく、「たまたま遅かった」とまるで自分に配られたカードのひとつのように語った。「持っている技術を駆使してアウトを取る」という言葉からは、したたかな生存戦略が見て取れる。
「結局、人間って必要に迫られないと動かないんですよ。そしてかつての僕のように、世の中には尻に火がついていることに気づかない人が少なからずいるんです。危機意識が足りないんでしょうね。僕は頭脳派って呼ばれたりするけど、自分に足りないものに気づいて、それをどう補おうかと考えていただけで、特別なことはしていない。真の意味でラッキーだったのは、大学時代や浪人時代に追い込まれた経験によって、プロの世界でも『このままじゃ生き残れないぞ』という意識を持てたことなのかもしれませんね」
アメリカで切れた緊張の糸「間違いなくもっとできた」
ロッテで10年間、横浜で2年間プレーした小宮山は、2002年にメジャーリーグに挑戦する。しかしこのタイミングで、石井連藏監督との出会い以降ストイックに野球をしてきた小宮山の緊張の糸が切れてしまう。まるであの“浪人時代”に戻ってしまったかのように。
「アメリカに行ってからは毎日エンジョイですよ(笑)。いや、一応これには理由があるんです。ロッテ時代、早稲田のOBでメジャー球団の職員をしていたアイク生原さんにメジャーのすごさを伺う機会があったんですよ。加えてトムコーチからも『メジャーにはこんなことがあって……』とずっと聞かされていたから、どんどんアメリカへの期待が膨らんでいきました。本当はロッテを辞めるタイミングで行きたかったけど、ボビーから『今はやめとけ』と言われたこともあって、ベイスターズで2年やってからようやく行けることになった。
待ちに待ったメジャーですから、『俺はアメリカにいるぞ!』って気分になるでしょ? 聞いていた話と現実を照らし合わせて『すげえ』ってなったり、逆に『嘘ばっかりじゃん』ってなったり、ただただ楽しい毎日ですよ。気分的には“野球人生のご褒美”的な感覚でした。でも選手としては、本当に反省しています。真剣に取り組めば、間違いなくもっとできましたから」