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元プロ野球審判の後悔「私のミスジャッジがなければ江藤(智)は…」巨人の96年メークドラマはなかったとザンゲした理由
posted2022/05/05 17:02
text by
佐々木昌信Masanobu Sasaki
photograph by
JIJI PRESS
2020年までプロ野球の審判員を務めた佐々木昌信さんの『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックス)から一部を転載し、裏側をご紹介する(全3回/#1、#3も)
オンオフの切り替えがわかりやすい斎藤雅樹
これまで挙げてきた投手より一世代前になりますが、「コントロールがいい投手」ということで巨人の斎藤雅樹投手の名前を挙げます。1980年代後半から1990年代後半まで、巨人は斎藤−桑田真澄−槙原寛己という強力な先発3本柱が存在しました。
桑田投手もコントロールがいいといわれていましたが、桑田投手は「使える球」と「抜け球」がはっきりしていました。95年開幕第2戦、桑田投手の飯田哲也選手への危険球退場をきっかけに、ヤクルトはビクトリーロードを走りました。斎藤投手はサイドスローからのストレートはもちろん、スライダー、カーブ、シンカーとすべての球をカウント球にも勝負球にも使えました。
槙原投手はフォークボールの抜け球が多かった。それ以前にピッチャーと球審の相性があって、「この球審のときはホームランをよく打たれる」とか「この球審のときは勝率が低い」とか。ピッチャーは験担ぎをするので、こちらは無意識でも、槙原投手のほうが私を意識していたのを感じました。
斎藤投手の試合の中でのオンオフの切り替え。いまはよく「ギアを入れる」と表現されますが、すごくわかりやすいピッチャーでした。結構ヒットを打たれる半面、ギアが入ったときに抑える完璧ぶりはすさまじいものがありました。だから1試合120球から135球ほどを投げ抜いて、「ミスター完投」と呼ばれたのです。
私が審判になる前の1989年、11試合連続完投勝利(計21完投)を含む20勝。翌90年にも8試合連続完投勝利(計19完投)を含む連続20勝。
私が審判になってからも95年シーズン130試合制の時代に27先発18勝16完投。現在からは信じられない驚異的な数字です。
斎藤と伊藤智仁のスライダーは似ている?
斎藤投手のウイニングショットは、スライダーとカーブの中間のような球で「スラーブ」と表現したほうがいいのか。
93年にヤクルトで新人王を獲った伊藤智仁投手が伝説の「高速スライダー」を投げていました。私はナマで見ていないのですが、先輩の審判は言っていました。