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「あっ、仲田か。阪神におった仲田やろ!」“内定通知”から一転、34歳で引退…酒浸りだった仲田幸司が“工事現場の監督”になるまで
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byNumber Web
posted2022/04/21 11:02
現在は毎朝5時起きで工事現場監督として働く元阪神・マイク仲田の半生に迫る
「『なんで俺、マウンドにおらんのやろうな』って。まだ34歳で、現役で投げていてもおかしくなかったから、余計そう感じたのかもしれない。自ら身を引いたわけではなく、入団テスト不合格での引退でしたから、悔しさが残ったままでした。4年くらい煮え切らない気持ちがあった。ただ、野村(克也)監督に代わって、遠山が松井キラーで名を上げた時は『俺を採らんで良かったな』と感じましたね」
引退後に流れた「死亡説」の真相
仲田は冷静な目を持っていた。人を憎むことなく、自分ならもっと活躍したはずだとは思わなかった。我が強いと言われる投手らしくない性格だった。現役への未練が断ち切れ、仕事にも慣れてきた2006年、人生二度目の解雇通告を受ける。世代交代は現役選手だけに訪れるわけではない。
「僕が引退した時はテレビ局にまだバブルの名残があったし、解説者もたくさん抱えていた。でも、徐々に野球中継の視聴率も下がっていき、多くの人を雇えなくなった。たとえば、局が5人のOBを抱えているとしましょう。大御所2人は切れないので、若手3人を入れ替えていく。引退したばかりの新鮮な人を迎えたいですから。すると、誰かのクビが飛ぶ。その1人が自分だったんですわ。解説の打ち切りを伝えられた後、心労で10キロぐらい痩せたんですよ。まだ契約は残っているから球場に行くと、『ガンちゃうか?』と心配されました」
仕事を失った上に、離婚も重なった。やるせない気持ちを紛らわそうと、仲田は毎晩のように酒を飲み、現実逃避をした。プロ野球生活の終わりは予感できたが、解説の幕切れは唐突だった。42歳にして突然、幼い頃から慣れ親しんだ野球が奪われようとしていた。酒浸りの生活を繰り返していた頃、“死亡説”が流れ始めた。
「次の年、球場に顔を出さなくなると、『最近マイク見ないな。前に見た時、痩せてたな。……死んだんちゃうか?』って」
2010年、1本の電話が鳴った
遥か彼方に葬り去りたいような出来事を聞いても、マイクは淀みなく話してくれる。辛い話も、抑揚をつけながら笑いに変えようとする。その話術があるため、解説の契約が切れても、講演会や野球教室で食い繋げた。しかし、仕事の性質上、毎日あるわけではない。人に会うと気持ちが高揚する分、家で1人になるとそのギャップが身に染みる。だから、仲田は酒を必要とした。