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「あっ、仲田か。阪神におった仲田やろ!」“内定通知”から一転、34歳で引退…酒浸りだった仲田幸司が“工事現場の監督”になるまで
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byNumber Web
posted2022/04/21 11:02
現在は毎朝5時起きで工事現場監督として働く元阪神・マイク仲田の半生に迫る
「遠山は強気な性格で、内角もズバズバ攻められる。デッドボールを当てても、『それぐらい避けんかい!』と思えるくらいの強心臓を持っていた。羨ましかったですよ。僕は打者に当ててしまうと『悪いことしたな』という気持ちが先に来てしまっていた」
「昨日言うてましたやん、俺採るって……」
この時期の阪神において、若手への嘱望は恐ろしいほど成績に結び付かなかった。翌87年、遠山は未勝利のまま、左肩を痛めて戦線離脱。仲田は最下位を独走していた後半戦に7勝を挙げたが、前半戦はわずか1勝に終わっていた。
吉田義男、村山実、中村勝広という指揮官は新たなシーズンを迎えるたび、「今年はマイクと遠山に期待します」と声を揃えた。しかし、結果は伴わなかった。直近4年で3度の最下位と屈辱に塗れた阪神は90年オフ、打線強化のために23歳の遠山を放出してロッテから33歳の高橋慶彦を獲得した。
「本当は僕がトレードされたかもしれないんですよ。『交換要員は遠山か仲田』とスポーツ紙に書かれていました。結局、僕も5年後にロッテに行くんですけど」
阪神の未来を背負って立つと思われた2人は二軍の浦和球場で汗を流し、97年オフにタイガースの入団テストを受けた。そして、2日目に内定通知を受けていたマイクは合格直前で、遠山に縦縞のユニフォームを奪われた。一枝のまさかの通告に、仲田はこう漏らした。
〈昨日言うてましたやん、俺採るって……〉
無機質な部屋に響く落胆の声が虚しさを増長させた。一枝は苦渋で顔を滲ませながら、仲田を説得した。
〈おまえにはネームバリューもある。俺が毎日放送を紹介するから。遠山は今、頑張らんと行くところない。お互いバランス良うなるやろ。おまえも稼げるし、遠山も稼げる。勘弁してくれ〉
34歳で現役引退…「なんで俺、マウンドにおらんのやろうな」
古巣復帰の夢破れ、二の句を告げないマイクは部屋に入る前にすれ違った遠山の微妙な表情を思い浮かべていた。
「自分が合格しているとは言えんかったんでしょう。僕は何も知らんから、余裕こいて『どうだった?』と聞いているわけですよ。遠山も気まずかったと思いますわ。引退後も顔を合わせて話してますけど、さすがにその時のことは聞けないですよ」
二塁への牽制がバックスクリーンに入ったこともあった。四球を出す度にヤジられ、ホームランを打たれてはマウンドの土をならした。悔しさをバネに、92年には罵声を喝采に変えさせた。そんな毀誉褒貶に塗れた男のプロ野球人生は、鳴尾浜の寮であっけない終焉を迎えた。解説者として球場に赴く度、切なさが込み上げてきた。