ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
新日本の“最優秀外国人”スコット・ノートンが明かした「ワイフと電話で号泣した日」…『水ダウ』で野性爆弾くっきーが替え歌、愛される理由
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2022/03/30 11:00
新日本プロレスのトップ外国人レスラーとして愛されたスコット・ノートン(1999年撮影)
「マサが俺をベストだと言ってくれた」妻と流した涙
でも、マサと一緒にタクシーに乗ると、だいたいダメ出しだったから、俺もいつかはマサに『今日の試合は最高だったぞ!』って言ってもらえるようにがんばったんだ。それでハシモト(橋本真也)とビッグマッチで闘ったとき、俺の中ではいい試合ができたと思っていたんだけど、その時もマサがタクシーで待っていてね。一緒にホテルまで帰ったんだけど、その時マサが初めて『お前は俺のナンバーワンのボーイだ』って言ってくれたんだよ。『お前はベストだ』ってね。
今までさんざんダメ出しされてきた分、あのときはすごくうれしかった。マサは俺がリスペクトしている人物だったし、ダメ出しも俺をなんとか本当のトップに育てようと思ってのことだとわかったからね。あの夜、俺はすぐにアメリカにいるワイフに電話をして、『マサが俺をベストだと言ってくれたんだ』って報告したら、彼女もマサのことが好きだったから、本当によろこんでくれた。二人で電話で話しながら、思わず泣いてしまったことを覚えているよ。
ニュージャパンではマサだけでなく、レフェリーのハットリサン(タイガー服部)や、チョーシュー(長州力)やフジナミ(藤波辰爾)もよくしてくれたし、ビッグボスであるイノキ(アントニオ猪木)はとてもクールな男だ。ムタ(武藤敬司)やチョーノ(蝶野正洋)、ハシモトも含めて、彼らは偉大な男たちだと思うし、俺は彼らに育てられたんだ。俺はニュージャパンという最高のタレントが揃ったリングで闘えたことを誇りに思っているし、その気持ちは今後も変わらないよ」
90年代の黄金時代に新日本プロレスのリングでトップレスラーになったスコット・ノートン。2019年に彼がアメリカで出版した自伝のタイトルは『STRONG STYLE(ストロングスタイル)』だ。アメリカ人でありながら新日流のストロングスタイルのプロレスを貫いたノートンは、間違いなく新日本プロレス50年の歴史に残るレスラーと言っていいだろう。
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